東京女子大学で古代オリエント史の初講義をする三笠宮さま=1955年4月
故・三笠宮崇仁(たかひと)さまの本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」が4日、東京都文京区の豊島岡墓地で始まった。三笠宮さまは1955年から東京女子大学の講師を務め、古代オリエント史を講義された。昼は学食で1杯20円のきつねうどんを好んで選び、「宮さまうどん」と名付けられた。同大は1957年6月25日発行の東京女子大学学報で、当時東京都品川区にあった三笠宮邸を訪問し、ご夫妻にインタビューした記事を掲載している。内容を以下、紹介する(表現は原文のまま)。
三笠宮崇仁さま逝去
■(毎日どんな御生活ですか)
女子大には週に2日出勤し、他の日は宮内庁書陵部三笠宮研究室に行きますが時間を中断するいろいろな用務があるので、頭の切り換(か)えには馴(な)れているつもりでも、研究の時間を持続させることが、なかなか困難です。
■(昔の御生活はどんなでしたか)
赤坂の御所では独身の時代ですら私一人に四十人もの宮内官がいました。御所は運動会ができるような広い日本家屋で、毎日の雨戸のあけたてだけに男数人がかかりきりでした。一間巾の廊下の先きに更に縁側がつく古い建物で日光は入らず近代的暖房装置はなく天井が高いので冬の寒いことは格別でした。旅行をしても駅に着く度に地方のお歴々や団体が整列しての出迎えにこちらも緊張してお弁当の蓋(ふた)を閉めたりあけたり、夏など上衣を着たり脱いだり等実に早わざをしたものでした。旅行先でも同じですから日本中旅行をしたのですが、そういうことしか一向記憶に残つていません。いろいろ考えると現在は比べものにならぬ位楽しい生活を送つています。
■(日本はどうなるとお思いですか)
文明は原子爆弾を齎(もたら)し不幸だという人もいますが一面では生活を幸福にしていることも確かです。一方猿山の猿にもボスの階級があり決して自由、平等な生活を送つてないように、原始時代の人間社会とてもユートピアだつたとは思えません。従つて問題は将来よくなるとも悪くなるとも歴史家として言えません。意志と努力が大切だと思います。この努力が実を結べばよくなるし、努力を緩めると悪くなるでしよう。(島康彦)