3作目の小説「四月になれば彼女は」を刊行した川村元気さん=竹谷俊之撮影
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■川村元気の素
【特集】ヒットメーカー・川村元気に迫る
社会現象を巻き起こしている映画「君の名は。」を製作した、川村元気さんが11月、3作目の小説「四月になれば彼女は」(文芸春秋)を刊行しました。川村さんはこれまで「死」や「お金」をテーマに小説を書き、今回が初めての恋愛小説。結婚を目前に控えながら、婚約者との恋愛関係が冷め切ってしまった精神科医の男性・藤代俊に、過去に付き合っていた彼女から手紙が届くところから物語は始まります。「君の名は。」とは「双子のような作品になった」と語る川村さんが、小説を書き続ける理由とは。
川村元気さんの2年ぶりの小説「四月になれば彼女は」
■世の中の定着していることに違和感
――恋愛小説を書こうと思ったのは、何がきっかけだったのですか?
デビュー作の「世界から猫が消えたなら」は“死”がテーマで、2作目の「億男」は“お金”をテーマにした小説でした。その2作を書いて、人間にコントロールができないものが三つだけあると、ふと気がついたんです。それが、「死とお金と恋愛」。この三つは本当に答えが出ない問題だなと思った。小説を書く時は、自分でも分からないものに挑みたいので、恋愛小説を書くことだけを決めて始めたんです。
周りの20~50代の100人ぐらいに恋愛について色々質問しました。そうしたら、びっくりするぐらい熱烈な恋愛をしている人が少なかった。10代や20代の頃は、「誰かがとても好きで苦しい」とか、「嫉妬心で寝られない」とか熱烈な感情があるけど、そこから10~20年で別人みたいになるんです。恋愛感情がまるでないかのように理性でコントロールして。そのことにすごい違和感を感じて、答えを知りたいと思った。
「君の名は。」は王道のラブストーリーだとみんなが思っていますけど、2人はほとんど出会わない変わった物語だと思います。会わない者同士が、お互いを求め合う話なんです。逆に僕が書いたのは、一緒にいるのに愛しているかどうか分からない物語。だから、表裏一体で、双子のような気持ちで二つの作品に取り組んでいましたね。
川村元気さんがプロデューサーとして関わった映画「君の名は。」(C)2016「君の名は。」製作委員会
――恋愛感情が無くなったカップルを主人公にしたのはなぜ?
今までの恋愛小説は、男と女が出会って恋に落ちるのを描いていた。だけど、カップルになって一緒にいるのに、恋心があるのかどうかが分からない話の方が現代的だと思ったんですよ。一緒にいるのに愛しているか分からない人たちが、何を求めているのか。これを描けば、ユニークな小説になるんじゃないかなと思いました。
結婚すると、「愛が情に変わる」という言葉が、定着していますよね。僕は、世の中の定着していることに対する違和感が強烈にある人間なので、「みんなが本当に納得しているのかな」と思っちゃうんです。
「世の中の定着していることに対する違和感が強烈にある」=竹谷俊之撮影
それで、実際に取材してみると、納得していないんですよね。特に女の人は。心が納得していないから、頭と心がどんどん離れて、人を追い詰めていく。幸せのありかがどこにあるか、分からなくなっていく。
本当は好きな人に「好きだ」と言って、じたばたする方が幸せなんだろうけど、大人になると「格好悪いこと」をしなくなる。泣いたり、あがいたりすることがなくなる。「人に全力で体重を預けられなくなった」のがどうしてか、知りたかった。恋愛小説を書きながらも、「現代の人間の失ったもの」に近づいていく作業だったような気がします。
■精神科医を主人公にした理由
――精神科医を主人公にしたのは、どうしてですか?
最初は、自分をコントロールせず能動的に動く男性を主人公にしようと思ったんです。でも、調べれば調べるほど、性欲については能動性があるけど、恋愛に関して男の人は、能動性がない。そのことが、多くの女性を絶望に追いやる。わかり合えない、つながれない気持ちにさせていると感じました。
「調べれば調べるほど、恋愛に関して男の人は、能動性がない」=竹谷俊之撮影
セックスレスの問題もそうだと思うんです。ちょっと男の人が歩み寄ればいいのに、何もしない。それで、外で飲む時だけ「うち、無いんだよね」と言う。それを聞くと、「何とかしろよ、その問題」って思っちゃうけど、「どうしようもならないんだよね」っていう空気があって。
その「動かなさ」みたいなものを、女性からの反感も含めて書きたいなと思った。今の男性たちがどうしてそうなるのか、分からないけど、そのことを正直に書こうと。同時に、恋愛感情の喪失について、精神科医に考察してもらおうと思ったんです。恋愛に対して客観的な意見を言う脇役として、最初は登場させるつもりで、十数人に取材しました。
すると、恋愛やうつ病の問題を仕事では解決しているんですけど、「ご自身はどうですか」と聞くと、夫婦関係が悪かったりとか、恋人とうまくいっていなかったりする人が多くて。「人のことは治療できるんだけど、自分の問題は解決できないんです」と言うんですね。
これは、面白いと思いました。ああ、僕たちそのものだなと。僕たちも、人に対しては的確なアドバイスができる。でもそう言う本人は、自分の問題になったら全然解決ができない。理知的に考えて判断しているようで、自分のことが何も分かっていないのは、精神科医に象徴されるなと思って、主人公に昇格したんです。もし、藤代が頑張り屋だったらどうだったんだろう、この小説。たぶん面白くないんだろうな(笑)。
精神科医を主人公にした理由を話す川村元気さん=竹谷俊之撮影
――川村さんの小説には、「喪失」が深く関わっていると感じるのですが、意識していますか?
映画は、存在を描くメディアなんです。俳優がいて、物体が映る。「何かがある」というのを描くのは力強いんです。一方で小説は、「何かが無い」ってことを書けるんですよね。何かが無いってことを書くと、何が失われたのかとか、代わりに何を求めるんだとか、そこに無いものが気になってくる。小説を書く時は、それが原動力としてあるのかもしれません。
■発見したことを、ふさわしい場所で発信する
――小説を書く時でも、映画プロデューサーのようにヒットさせることを念頭に置いていますか?
僕は、自分が生きている世界を全然信用していないんです。足元が絶えず、瓦解(がかい)するんじゃないかと思っている。今回は、「男女が恋愛するものだ」というルールに対して、「正しく運用されているのかな」と思った。
自分が知りたいことは、「10万人、100万人が同じことを知りたいことじゃないか」という仮説を立てるんです。そして、「みなが感じているけど、口に出して言えないことを形にする」。これが「集合的無意識を表現する」という考え方です。
そして、「それ、私も同じことを思ってた」と感じてもらいたい。だから、映画や小説にこだわりがあるわけではなくて、アウトプットにどういう媒体が適しているかということだけなんです。吉田修一さんの小説に刺激を受けて表現したいことが生まれたら、それは映画になるだろうし、「君の名は。」を作りながら「映画の物語の世界だけは、男女が恋愛をしている」と気がついたので、恋愛できない男女を小説に書いた。一番ふさわしい場所や形で伝えたいだけなんです。
映画「怒り」は、原作者の吉田修一さん、李相日監督と川村元気さんが、映画「悪人」以来となるタッグを組んだ(C)2016映画「怒り」製作委員会
――そうなると作家・川村元気にとって、編集者はどういう存在ですか?
そこは、映画の時と役割は逆転します。例えば、新海誠さんがストーリーを書いてきた時に、プロデューサーの立場では「ここを膨らませたら面白くなる」「ここは外した方が良い」ということが客観的に見える。でも、書いた本人は何を伝えたいのか気づいていないところもある。僕もこの小説を書き始めた時は、何で恋愛感情に興味を持ったのかはいま一つ分からなかったんですよね。何となく物語の断片や、キャラクターの言葉が出てきて、それに対して、「ここは面白い」「ここはいらない」と編集者が言ってくれる。それで初めて、書きたいことが何かが見えてくるんです。「あなたが書きたいことはこれだ」というのを教えてくれる人は必要で、それが編集者がいてくれる意味だと思うんですよね。
川村元気さんがプロデューサーとして関わった映画「君の名は。」(C)2016「君の名は。」製作委員会
それと小説は、結末が「半生(はんなま)」の状態で始めることができる。映画を撮る時は最初から起承転結が決まって、ラストも全部見えていますが、小説は乱暴な言い方ですが、「結論を決めていないけど、頑張って探すので付き合って下さい」と言える。そして、主人公たちが道を外れて思わぬ行動に出る。そういう時って、いいのか悪いのかは、伴走者である編集者に確認するしかないんですよ。でもそういう時の方が「宝物」が見つかって、面白い話になりますね。
■プロット通りに書いても、面白くない
――今回もそういう場面が?
無数にあります。例えば、この物語は、ボリビアのウユニ湖から昔の彼女・ハルの手紙が藤代に届くところから始まりますが、何で手紙を選択したのかは一切考えずに書き始めたんですね。書いた後で、手紙を書くってすごいことだと気づいた。最近手紙を書いたことはありますか?
――いえ、書いてないです。
僕もそうでしたが、便箋(びんせん)を使ってちゃんと人に手紙を書くということを10年、20年やっていないんですね。僕も実際に手紙を書いてみたんですよ。そしたら、「恋愛感情そのものだ」と思ったんです。誰かのために気持ちを傾けることや文字がふぞろいで上手に書けない感じが、まさに恋だなと思って。自分が手紙を選んだ理由が後で分かるんです。
物語を当初のプロット通りにしようとすると絶対に面白くならないんですよね。吉田さんが「怒り」を書いている時、中盤まで犯人を決めていなかったそうなんですが、それを聞いて「なるほど」と思った。書いている本人が、どうなるか分かっていない感じが面白いなって。「オチをこう作ろう」「こうやって伏線を回収しよう」とすると、大して面白くならない。今回のラストも、最初のプロットをなぞるのではなく、僕の書きたい結論が物語を支配しているんです。そういう瞬間は、すごい興奮します。
「書いている本人が、どうなるか分からない感じが面白い」=竹谷俊之撮影
――そうした感覚は、プロデューサーに戻ったときにも生かされていますか?
ものすごく役に立っています。もちろん映画は、脚本という設計図を作って、スタッフ全員で家を建てていくんですけど、そこにわざと穴を作るというか。予想外な事態になって、下手したらマイナスになるかもしれないけど、それでいいんだという要素を入れるようになったかもしれないですね。そうすると、分からないものに対して、人は考えたり動いたりする。そのエネルギーが欲しいんです。答えが分かっていることを、そのまま取り組む時は、だいたい面白くならないですね。
小説を書くのは、「分からないことを知りたいから」。でも、分からないことって、「怖い」ことですよね。恋愛を多くの大人がしなくなった理由は、自分がどうなるか分からないから。それって怖いじゃないですか。
分からないことって、しなくなるんですよ。保証がないから。だけど、先が見通せるセーフティーなゾーンから抜け出さないと、作品の質はどんどん坂を下るだけなんです。その点、小説は、自分が分からない物を書いていく行為だから、強制的に自分をチェンジさせざるを得ない。
――今回の小説は、どういった人たちに読んでもらいたいですか?
僕は、自分の問題意識や疑問は、多くの人が同じように思っているんじゃないかと思って、集合的無意識にアプローチしている。現代において、異性との関係をどうするかは、逃れられない問題ですよね。そこを考えなくなった時に、人は悪い方向に行くと僕は思っているんです。「私たちは愛することをさぼった」というセリフを書きましたが、愛することすらさぼるんですよね。なので、読んでくれた人に、焦燥感や切迫感のようなものが生まれて、自分の求めているものを見つけて欲しいと思って書きました。今、隣に愛すべき人、もしくは愛している人がいる人には読んでもらいたいなと思います。もちろん恋愛感情を失ったように思い込んでいる人にも。
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かわむら・げんき 1979年、横浜生まれ。映画プロデューサーとして「電車男」「告白」「悪人」「モテキ」「バケモノの子」「バクマン。」、今年は「君の名は。」「怒り」などの映画を製作。2011年には優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。12年の初小説「世界から猫が消えたなら」が130万部突破の大ベストセラーとなり映画化。2作目の小説「億男」は中国での映画化が決定した。今年は理系のトップランナー15人と対話した「理系に学ぶ。」、ハリウッドの巨匠たちとの空想企画会議を収録した「超企画会議」を刊行している。(聞き手・丹治翔)