日比野さんが贈ったひな人形。園児が遊ぶ講堂の一角に飾られている=2月24日、沖縄県南城市、上遠野郷撮影
沖縄県南城市の市立玉城(たまぐすく)幼稚園に、ひな人形が飾られ始めて今年で38年になる。元々ひな人形を飾る習慣がない沖縄では、少し珍しい存在だ。「平和への思いが込められたお人形なんです」。上原則子園長(59)は話す。
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全国各地でひな祭り
園児たちが駆け回る園のホールに、ひな人形はある。豪華な7段飾り。女びなの表情は柔らかい。
愛知県出身の日比野勝廣さん(2009年に死去)が1980年に贈った。作ったのも、日比野さんだ。
日比野さんは人形職人として働いていた43年に召集され、44年に沖縄へ。45年4月、米軍が沖縄本島に上陸した。激しい沖縄戦の中、現在の浦添市で米軍の砲撃によって右足と右腕を負傷し、南へ敗走する軍と、地元で「糸数アブチラガマ」と呼ばれる洞窟(ガマ)にたどり着いた。米軍が迫った5月下旬、重傷の日比野さんら百数十人の兵士は自殺用の毒薬とともにガマに置き去りにされた。
当時21歳。暗闇の中で戦友が次々と死んでいく中、日比野さんは住民たちに水や食料を分けてもらい、命をつないだ。ガマを出たのは3カ月後の8月22日。生き残った兵士は10人程度だったという。
戦後、人形職人に戻った日比野さんは、1961年の訪問を最初に、以後100回以上、慰霊のために沖縄を訪れ、当時助けてくれた住民たちと交流を深めた。そして、自分が生き延びたアブチラガマに近い玉城幼稚園に人形を贈った。
日比野さんの四女、柳川たづ江…