熊本子どもの本の研究会の記念事業で、谷川俊太郎さん(左)と対談する大岡信さん=2003年5月、熊本市
大岡信(まこと)さんが5日、亡くなった。現代詩に新しい時代を築き、多彩な評論でも活躍。30年弱にわたる本紙の連載「折々のうた」は、古今東西の詩歌を親しみ深いものにした。
詩人の大岡信さん死去 朝日新聞コラム「折々のうた」
新聞1面を左下から読ませる男 大岡さん「折々」29年
詩人としての出発には失恋がつきまとった。初期の詩「暗い夜明けに」で「壁にピンでとめられた昆虫のやうに/ありありと私は力を喪くしてゐる」と自らを死んだ昆虫にたとえた。小学校時代の音楽教師に恋をし文通もしたが、恋が破れた経験が背後にあった。
だが後の妻・深瀬サキさんと恋をし、作品は明るくなる。戦争と死のにおいをまとった田村隆一ら戦後詩と一線を画し、生の躍動を透明な叙情と共にみずみずしい感受性で描いた。第1詩集に収めた詩「春のために」は「砂浜にまどろむ春を掘りおこし/おまえはそれで髪を飾る おまえは笑う」「ぼくらの視野の中心に/しぶきをあげて廻転する金の太陽」とつづった。
谷川俊太郎さんら同世代の詩人と自らを「感受性の祝祭」と評した。批評家の三浦雅士さんは「つやっぽさも含み、強くて豊か」と大岡さんの詩を称賛する。
音楽家の武満徹や画家の岡本太郎らと交流。海外のビエンナーレに参加するなど、1960~70年代の文化・芸術を引っ張った。
評論家としては難解な詩や美術…
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