俵万智さんを初めて取り上げた回=1987年9月16日
大岡さんは詩人のイメージを変えてしまう多彩な活動を半世紀以上続けたが、多くの人の心に残るのは、朝日新聞紙に連載した詩歌コラム「折々のうた」だ。休載期間を含め足かけ29年間で計6762回。万葉集の収録和歌数約4500を超え、日本文学史上に残る詩歌アンソロジーとなった。
詩人の大岡信さん死去 朝日新聞コラム「折々のうた」
「現代の万葉集」詩歌を一般に返した 大岡信さん悼む声
79年1月25日の初回は高村光太郎の短歌「海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと」。大岡さんは47歳だった。本文は1回が180字。原稿を簡潔に書く新聞記者時代の経験が生かされた。始めた頃はファクスが普及しておらず、外国の旅先から日本へ帰る航空会社の職員に原稿を託したことも。「連載に一度も穴をあけたことがない」のが自慢だった。
「折々のうた」がいかによく読まれていたかを示すエピソードがある。98年2月、大岡さんは「目へ乳をさす引越(ひつこし)の中」という江戸時代の付句(つけく)を、引っ越しで忙しい母親が誤って赤子の口ではなく目に乳を飲ませたと解釈したのに対し、読者から「目に入ったゴミを取るため」といった電話や手紙が200件以上相次いだ。大岡さんは反応の多さに驚き、紙面で「こういう失敗談とその後日譚(ごじつたん)、書きながら何だか心楽しいのは、なぜだろう」と記した。失敗談も楽しんでしまうところが大岡さんらしかった。
和歌や俳句だけではなく、庶民の生活感情がうかがえる歌謡も重視した。「精力の9割は、作品の選定と、織物を織るかのような配列に割いています。錦繍(きんしゅう)が織り上げられた感じが出ればいいのですが」。古典にとどまらず、台湾の人々が日本語で詠んだ「台湾万葉集」、外国の子どもらが母国語で「ハイク」を詠んだ「地球歳時記」なども発掘した。
「新聞の1面を左下から読ませる男」と言われ、最終回は07年3月31日の江戸時代の俳人田上菊舎(たがみ・きくしゃ)の句「薦(こも)着ても好(すき)な旅なり花の雨」。大岡さんは76歳で、最後の時期は脳梗塞(こうそく)の後遺症と闘いながらの執筆だった。終了直後、谷川俊太郎さんらは「毎日でなくていいから、せめて『時折のうた』を」とエールを送った。これは多くの読者の思いでもあった。(赤田康和、白石明彦)