閲覧用に複写された文書。女性1人あたりA3判2~3枚で、個人情報は黒塗りになっている。「5歳の時に東京で戦災に遭い、広島に疎開。原爆で父母姉弟を失い、7歳の時に横浜の叔母に引き取られた。家出してフィリピン人と交際した後、外国人相手に売春をしている」=神奈川県立公文書館所蔵
「占領軍に強姦(ごうかん)され妊娠。横須賀で外人相手の売春婦となった」。神奈川県立公文書館(横浜市旭区)に、敗戦後に娼婦(しょうふ)になった女性たちを県が保護した際の記録が保存されている。俳優の五大路子さんが文書の存在を知り、詩にして公開することにした。五大さんは「ありふれた日常が戦争に侵食され、希望が奪われる。誰にでも起こり得たことだったと、手に取るように感じられる」と話す。
記録文書は、県立婦人更生相談所(婦人相談所に改組)が、昭和20~30年代にまとめた「婦人保護台帳」。売春に関わる女性の相談のための施設で、売春に至る経緯や、相談所がどのような対応をしたかが克明に記録されている。
五大さんは膨大な記録の中から、10人余りの女性たちの証言を、ほぼそのまま読む詩にまとめた。
「大卒後、戦前商社事務員。戦後病院事務員。米兵と恋愛、男児をうむ。昭和22年、米兵は帰国。街に立つ。昭和26年、精神に異常をきたす。浮浪者になり、もうひとり混血児をうむ」
「戦災に遭い両親と別れた。浮浪者となり、街娼(がいしょう)から名古屋で集娼(しゅうしょう)に。業者より逃亡し横浜に来る」
占領軍兵士に強姦(ごうかん)され心を病んだ女性。貧困と暴力の中で育ち、街頭に立つことを余儀なくされた女性。戦争で家族を失った女性。戦後の混乱の中で、行き場を失った女性たちの姿が浮かび上がってくる。
五大さんは、横浜の街頭に立ち…