抱き合って喜ぶ町田弘さんと孫の金丸夏希さん=7日午前7時58分、福岡県朝倉市の甘木公園、浅野秋生撮影
九州北部では7日も、断続的に雨が降り続いた。孤立集落からヘリで救出され、ようやくの再会に笑顔を見せる住民の姿があった。その一方で、死亡が確認され、悲しみに暮れる人たちの姿も。大量の倒木の中、自衛隊らの懸命な捜索活動が続いた。
福岡県朝倉市の甘木公園芝生広場には7日午前6時過ぎから、孤立した地域の被災者を乗せたヘリが次々と降り立った。市によると正午現在、計114人を搬送。救助された人たちは家族との再会に笑顔を見せる一方、集落の深刻な被災状況を口にした。
朝倉市の会社員金丸明美さん(45)は、娘の夏希さん(22)や親戚らと午前6時ごろから広場で救助ヘリを待ち続けた。同市黒川に住む父親の町田弘さん(73)が取り残されていた。
午前8時ごろ。ヘリから町田さんが降りてきた。けがもなく、元気そうな姿。親と子、孫は抱き合い、涙を流して喜んだ。
黒川は市の中心部から少し離れた山あいの地域。市によると7日午前8時半現在、108人が孤立している。
町田さんは5日午後、自宅から離れた場所で被災。地区内のコミュニティーセンターに多くの人と避難していたところを救助されたという。「コミュニティーセンターの近くにあった10軒ほどの家は、1、2軒を残して全滅した。壊れた家に住んでいた知人はどうなったのだろうか」と心配そうに話した。
町田さんによると、黒川では至る所で土砂崩れや家屋の流失が起きている。町田さんの自宅も大雨で流された。その自宅にいた妻は、近所の人たちと車で避難し、一足早く6日にヘリで救助されたという。
同市杷木松末(はきますえ)で孤立し、救出された農業井手寛さん(88)は、妻の悦子さん(82)と一緒にヘリを降りた。
2人は自宅に2日間、閉じ込められた。豪雨の際、自宅の1階は濁流にのまれた。家の前を流されていく軽トラックを見て、寛さんは「生きた心地がしなかった」。食べ物はほとんど無く、「お茶を湯飲み茶わんに半分ずつ、小さなおかき二つを2人で分け合った」と悦子さんは語った。けがすることなく救出され、そろって「ほっとしました」と笑顔を見せた。
■電話で「タンスの上に逃げている」
朝倉市によると、家族3人が行方不明となっている同市杷木林田では午前9時過ぎ、自衛隊や地元の消防団ら約30人が、3人がいたと思われる民家の捜索を始めた。
この地域の住民によると、豪雨による土砂で数軒が流されたという。捜索中の平屋建ての民家は、ほぼ半分が流失しており、家の中に1メートル以上積もった土砂をスコップで掘り進め、流木をどかしながら、手作業で捜していた。
近所の人の話では当時、3人から別の親族に「タンスの上に逃げている」と電話があったが、その後は連絡がとれなくなったという。
同市山田でも午前8時前から、行方不明者の捜索が続いた。民家の裏は濁流が川のように流れ、近くの畑には人の腰の高さほどまで流木が積み上がり散乱。消防が周囲の木を切り倒しながら、捜索を続けていた。
同市杷木松末の樋口茂喜さん(60)は7日朝、長男とともに、自宅のある集落に徒歩で向かった。母(85)と次男(21)の2人と連絡が取れないまま。だが、集落につながる道路は寸断され、川も増水して危険な状態。捜索隊について行くことは出来なかった。
樋口さんによると、2人と最後に話をしたのは5日午後4時前。「今から(自宅を)出るよ」と、次男から電話があって以降、連絡がつかないという。
2人は自宅から白の軽ワゴン車に乗って避難したはず、と樋口さん。仮に車ごと流されていたとしても、どこかで車が引っ掛かっていないか、との思いで駆け付けた。
次男は交際相手との結婚を考えていたという。樋口さんは「助からんでも、早く見つかってほしい」と願った。