您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> 政治(日语) >> 正文

生きた証し、刻む 沖縄「平和の礎」が問うもの

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-8-21 7:08:44  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


平和の礎には「○○の子」「○○の孫」「○○の母」などと、名前がわからない死者たちも刻銘されている=沖縄県糸満市


写真・図版


写真・図版


写真・図版


写真・図版


写真・図版


国籍や軍籍にとらわれず、無数の戦死者たちの名を刻む異色の記念碑がある。今年92歳で亡くなった大田昌秀さんが、沖縄県知事として迎えた戦後50年の節目に完成させた「平和の礎(いしじ)」(糸満市)だ。大田さんが礎に託したもの、礎が私たちに伝えるものとは何か。(木村司)


特集:沖縄はいま


高さ1・5メートルの黒い石の壁が並ぶ。総延長は約2・2キロ。沖縄戦などで亡くなった計24万1468人もの名前が刻まれた「平和の礎」。沖縄県民だけでなく、日米両軍のトップや特攻隊員、植民地だった朝鮮半島や台湾出身者の名もある。建てられた際の県の計画書は、「戦没者の英霊視につながらないもの」と記す。


戦死者たちとどう向き合うのか。大田さんには戦後の人生そのものだった。


1945年3月、「鉄血勤皇隊」と名付けられた男子学徒隊に動員され、弾薬運びや伝令、敵陣への突撃まで担わされた。386人の学友のうち226人が戦死。敗戦を知らないまま10月に捕虜になるまで、極限の戦場にいた。


飢餓に苦しんだあげく自決する兵士。降伏しようとする味方を射殺する兵士、身を隠す壕(ごう)から子どもや老人を追い出し、食料を奪いとる兵士……。


「戦争は勝者も敗者もなく、ただ無数の人間の貴い血が際限もなく流されるだけだと、膨大な死者の名前から読みとっていただきたい」――。平和の礎に託した思いを、大田さんは著書『沖縄の決断』でこう記している。


ただ、戸籍は焼失していた。全員が亡くなった一家など、記録のない死者たちが少なくなかった。大田さんが決断したのが、県民だけで10万人規模になる全戦没者調査だった。




 

新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇新闻:

  • 下一篇新闻: 没有了
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    注册高达赢取大奖!

    09年2月《贯通日本语》杂志

    被爆外遇后《惊吓》节目直击采

    日本开发自动驾驶轮椅 可以通过

    以柔克刚是王道:日本大学开发

    赤西仁、黑木明纱公开“夫妻照

    广告

    广告