投球練習でボールを受ける興南の捕手、渡辺健貴君=大阪市此花区
沖縄出身者が大半を占める甲子園出場校の興南(沖縄)で、ベンチ入りする18人の選手のなかにただ1人、大阪出身者がいる。捕手の渡辺健貴(たつき)君(3年)だ。「PL(学園)のユニホームを着て甲子園」という夢は実らなかったが、興南で甲子園に出場する夢を叶(かな)えた。
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「え、ウソやん」
2014年10月、中学3年だった渡辺君は、父の貴之さん(42)の言葉に思わずうめいた。PL学園が翌年度の新入部員受け入れを停止――。
部員同士の暴力が発覚して監督が退任していたPL学園は、その年の夏の大阪大会で事実上の監督不在の状態で決勝に進出した。選手たちが自ら考えて勝ち進む姿に目を見張った。「PLの伝統あるユニホームを着て甲子園に立ちたい」
休日に野球部の練習や施設を見学した。学園側にも入学希望を伝えていた。PLへの進学を目指す友人と、自宅で「このメンバーで甲子園行ったるねん」と話すこともあった。
受け入れ停止にショックを受ける姿に、家族は進路を口にできなかった。そんな時、貴之さんは自宅の玄関先に飾られた写真に目が向いた。渡辺君が小学5年の10年、春夏連覇した興南の当時のエース、島袋洋奨(ようすけ)さん(現ソフトバンク)と、兵庫県西宮市の練習場で撮った一枚だった。
冗談交じりに「興南を受けてみないか」と貴之さんが話すと、渡辺君は表情を一変させた。「行きたい」。選手がきびきびと練習していたのを覚えていた。大急ぎで進学を決めた。
沖縄での生活で、最初の壁は言葉だった。「まさい」(めんどくさい)など、沖縄言葉「ウチナーグチ」は「何を言っているのか全然分からなかった」。一方、渡辺君の存在も、同級生には異質だった。上原麗男君(3年)は「入学してすぐ、ガツガツ話しかけてきて驚いた」。
貴之さんは、渡辺君が電話で話す言葉に、ウチナーグチの響きが高校2年のころから混じり始めたことに気づいた。「チームや言葉になじんだ。ようやく沖縄の子になった」
今年の沖縄大会で、渡辺君は準々決勝から捕手で先発出場。決勝では、1年生投手宮城大弥君に要所で内角の直球を要求し、最後の打者は空振り三振に封じた。「そのボールを受けた感触は、一生忘れない」
甲子園でも背番号2をつける。「今は沖縄代表として、興南のユニホームを着て甲子園に立てることを誇りに思う」。興南は11日、智弁和歌山との初戦に臨む。(柏樹利弘)