国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の「顔」として、広島での被爆体験を世界で語り続けてきたサーロー節子さん(85)。ICANのノーベル平和賞受賞決定について、カナダ・トロントで取材に応じた。発言の要旨は次の通り。
ノーベル平和賞にNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」
ノーベル委員長「日本の被爆者、ICANの活動に貢献」
政府、平和賞にコメント出さず 外務省幹部「立場違う」
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「72年間の長い道のりでした。でもこの瞬間が来た。世界の各地のお友達、同士の人たちの顔が思い浮かんだ。みんな喜んでいるだろうなあ。(核兵器禁止条約を採択した)7月7日のときに経験したことをまた再度経験しているようで、適切な言葉も出ない。胸がいっぱいで、感激感動でいっぱいです」
「亡くなられた広島、長崎の人たちの魂に『頑張りましたよ。この時点まで頑張りました。喜んでください』と伝えたい。日本や世界各地の被爆者も同じような思いでこの瞬間を感じておられる」
「世界の何百万もの同士たちがここ数年集中的に働いた。何十年も反核平和運動に参加したが、過去数年間の運動はすごく集中的だった。みんなが足並みをそろえてここまで動いてきた。これからより強く足並みをそろえて、批准を確保しなきゃ。そこに日本にも顔を出して欲しいですね。こういうことが起きたんですもの。日本政府ももう一度考え直さなければいけないと思う。国民全体が政府をプッシュすることができる。その一助になる。本当に力を与えられたと言う感じがする」
「ノーベル賞としてはICANがしている運動が人道的である、人間にとって必要な運動であるということを認めて、支えたということだと思う。強力な背後からのプッシュだと思う。日本の安倍首相にとっても、これだけ日本の国民が、大半の国民がプッシュしてきたものを今までと同じように無視し続けると言うことはできないのでは。ちょうど選挙中だから、国民の皆さんがこれを使って政府に対面していくということが必要だと思う。大いに使える材料ができた」
「ICANには若い人たちがいっぱい入っている。20代、30代、40代。昔は平和運動というと髪が白くなった人とか、戦争を体験して苦しみが分かっているという人が出てきた。そうした体験はないけれども、こんな恐ろしい世界に生きているということを自覚した若者たちが参加している。自分で意思決定でき、将来の道も真剣に考えている人、情熱的な人、エネルギッシュな人たち、そういう人たちがいっぱい。私は平和運動に長い間参加してきたけれども、こんなすばらしい人たちが集まっているというのは初めてだと思って、一生懸命にこの人たちと語り合い、行動しました。だから非常に希望を持っています。ホープフルです」
「(被爆で亡くなったおいに対し)ここまで頑張ったよ。約束がここまで果たせましたよ。完全じゃないけど、新しい章がこれで開ける。また一歩ずつ前進します。そのうちすべての核兵器をなくすまでおばちゃんは頑張るからね、そう言いたい。世界中の子どもたちのメッセージにしたいと思う」
「核廃絶と言うことは(被爆者の)我々も70年続けて言ってきた。この思いが運動をともにした人たちに深く理解されて、一緒に手を組んでここまで前進してきた。部分的ではありますがビクトリー(勝利)を手に入れることができた。すばらしい満足感。達成感?どんな言葉でも。今は感謝と『やった!』という気持ちでいっぱい。まだまだすることいっぱいありますよね。ここまでやってきたから死んじゃってもいいわなんてそんなこと言いません。まだまだ死にきれないです。もっともっと前進するまで。生きている間に全部をなくすことができたらどんなにすばらしいでしょう」(トロント=鵜飼啓)