「天正遣欧少年使節顕彰之像」の千々石ミゲル=長崎県大村市
天正遣欧使節のひとり、千々石(ちぢわ)ミゲルは、ローマに旅立った少年4人の中で唯一の棄教者として、「背教者」などと烙印(らくいん)を押されてきた。だが、そんな彼のイメージが覆るかもしれない。この夏、長崎県諫早市のミゲルとその妻の墓とされる遺構で発掘が行われ、信仰が続いていたとみられる証しが見つかったのだ。
使節は16世紀後半、大友宗麟ら九州のキリシタン大名がヨーロッパに送り込んだ少年たちだ。有馬晴信や大村純忠の縁戚だったミゲルは伊東マンショ、原マルチノ、中浦ジュリアンとともに欧州の地を踏み、熱烈な歓迎のもとでローマ法王やスペイン国王に謁見(えっけん)する栄誉を得た。
旅立ちから8年後の1590年に帰国したとき、キリシタンを取り巻く状況は一変しつつあった。迫害のなか、4人のうちある者はマカオで死去し、ある者は国内で殉教した。ミゲルは信仰を捨てて清左衛門と名乗り、4人の息子に恵まれたとされる。ただ、居を転々とし、幸せな晩年とは言えなかったようだ。
そんな彼の生涯は謎に包まれている。ミゲルがイエズス会を脱会したのは1601年前後という。キリスト教世界の繁栄を目にしたにもかかわらず、なぜ棄教したのか。そもそも本当に信仰を捨てたのか。
諫早市多良見町の静かな山間に…