花を植える作業をする中嶋玲子さん(左)=11日、福岡県朝倉市杷木星丸、岡田将平撮影
昨年7月の九州北部豪雨で被災した福岡県朝倉市立松末(ますえ)小学校(児童数27人)の閉校式が24日にあった。地域の中心で、住民のよりどころだった学校。144年の歴史の最後の1年に甚大な被害を受けた。住民は寂しさや不安の中に希望を見いだしながら、学舎(まなびや)との別れの時を迎えた。
「ありがとう」「大好き」「一歩一歩前へ」「がんばろう」
校舎の前で、600枚ほどの黄色い旗がはためいている。閉校にあたり、松末の再生・復興のシンボルにしようと、住民らでつくる松末地域コミュニティ協議会が企画した「希望の塔」だ。住民や支援者がメッセージを寄せた。
松末小は1874(明治7)年の創立。朝倉市東部の山あいに広がる松末地区の中心に位置する。子どもが減り、この3月で閉校して別の3校と統合することが決まっていた。昨年7月5日の豪雨では、地区を流れる赤谷川や乙石川が氾濫(はんらん)した。被害が集中し、校区では約20人の死者・行方不明者が出た。住民六百数十人のうち、自宅以外で生活している人は今月5日現在で314人に上る。
24日午前に体育館であった閉校式には、児童や住民たちが参加した。児童の代表は「傷ついた松末小学校は消えるのではなく、みんなの心にシンボルとして生き続けると思います」とスピーチした。最後に校歌を全員で歌うと、涙をにじませる人もいた。夕方からも閉校イベントがあり、500人以上が学校に集まった。松末小の歴史を振り返る映像を校舎に映すプロジェクションマッピングなどがあった。
「松末を絶対復興させないといけない」。式に参加した小川信博さん(65)はそう思っている。
学校とともに歩んできた半生だった。前回の東京五輪が開かれたころ、松末小に通った。「新幹線 松末駅」と絵を描いたのを覚えている。校庭では、陣地取りをして遊んだ。保護者としては体育館の雨漏りを直すなどボランティアを始め、その後は田植えや稲刈りを子どもたちが体験するグループの会長も務めてきた。地元の言葉でおせっかいを焼く人のことを意味する「せいたろまわし隊長」と自認する。
昨年6月、子どもたちと田植えをした。毎年、収穫後は餅つきをしていた。「1カ月もせんうちに水害に遭って埋まってしまった」。豪雨の日、小川さんは小学校の3階に避難し、一夜を明かした。
被災し気落ちした小川さんを励…