最軽量級から全日本選手権に挑戦する高藤
体重無差別で柔道の日本一を決める29日の全日本選手権(朝日新聞社後援)に、男子60キロ級の世界王者、高藤直寿(パーク24)が初出場する。100キロを超える大男がそろう大会で、最軽量級からの挑戦は異例だ。
高藤は昨年の世界選手権(ブダペスト)優勝の実績で、推薦選手として出場資格を得た。「小さい頃から全日本選手権に強く憧れていた。オリンピックの金メダルも夢だけど、もう一つの夢が全日本の舞台で戦うことだった」
昨年は世界選手権に続いてグランドスラム東京も制し、早々と今年の世界選手権の代表に内定した。ここで2連覇を果たせば2020年東京五輪へ向けて弾みがつくが、けがをすれば代表争いにも影響が出かねない。危険と背中合わせの挑戦だけに、日本代表の井上康生監督に反対されれば出場を諦めるつもりだった。
井上監督はけがのリスクを忠告した上で、本人の熱意を尊重。「出るからには中途半端な勝負はするな」と後押しした。最近の日本代表の強化合宿でも、身長160センチの高藤が見上げるような重量級の選手と稽古を重ねた。「相手の重さをどうさばき、利用できるか」。高校時代を最後に上がっていない日本武道館の畳も楽しみにしている。
何度も観戦している全日本選手権の中で、井上康生と鈴木桂治が激突した2003、04年の決勝に最も胸を熱くした。「会場の熱気を肌で感じた。あんな風に僕も観客を楽しませたい」
昨年はリオデジャネイロ五輪男子73キロ級金メダリストの大野将平(旭化成)が出場し、大会を盛り上げた。「軽量級も重量級も関係なく、柔道は相手の背中を畳につければ勝ち。タイミングが合えば投げられると思っている」。世界屈指の技のキレで体格差をはね返すつもりだ。(波戸健一)
かつては「平成の三四郎」の快進撃
1964年東京五輪で中大在学中に中量級(80キロ以下)で金メダルを獲得した岡野功が1967、69年に優勝した。90年にはバルセロナ五輪71キロ級金メダルの古賀稔彦(日体大大学院)が、大型選手を次々と撃破。決勝では小川直也(日本中央競馬会)に足車で敗れたが、「平成の三四郎」の挑戦は大きな話題となった。94年にはバルセロナ五輪78キロ級金メダルの吉田秀彦(新日鉄)も決勝に進み、金野潤(綜合警備保障)に敗れ準優勝。近年では、男子66キロ級でアテネ、北京両五輪を制した内柴正人(旭化成)が2005、09年でいずれも初戦敗退。昨年はリオデジャネイロ五輪73キロ級金メダリストの大野将平(旭化成)が初戦の2回戦で敗れた。(所属は当時)