銅鐸が埋められた時期
兵庫県南あわじ市で2015年にみつかった弥生時代の青銅器「松帆銅鐸(まつほどうたく)」の科学分析を実施した結果、朝鮮半島産の鉛を含むなど弥生時代中期前半(紀元前4~前3世紀)の最古級の銅鐸と同じ特徴を持つことが分かった。市教委が27日発表した。多数の銅鐸が土中に埋められたのが、紀元前にさかのぼって最古の事例となる可能性が強まった。
市教委は奈良文化財研究所(奈良市)に依頼し、銅鐸7個と、一緒にみつかった音を鳴らすための「舌(ぜつ)(振り子)」7個に対し、元素の種類や含有量を測る発光分光分析(ICP分析)と、鉛の同位体比から産地を推定する分析を行った。錫(すず)と鉛の成分比率が古い型式の銅鐸と似ていたほか、紀元前3世紀以前の銅鐸に使われていたのと同じ朝鮮半島産の鉛が含まれていたことも分かった。
銅鐸は、豊作や集落の安全を祈るコメ作りを中心とした農業のまつりに使われたとされる。当初は木の枝などにつるして音を鳴らす小型の「聞く銅鐸」だったが、次第に大型化し、表面に文様や絵画が表現され、床などに置いて見せる「見る銅鐸」へと変化した。
銅鐸の特徴の一つが、何らかの理由で意図的に土中に埋納(まいのう)されたことだ。その時期をめぐっては、聞く銅鐸が弥生時代中期末~後期初め(1世紀初めごろ)、見る銅鐸は弥生後期末(2世紀後半~3世紀前半ごろ)に一斉に埋められたとする「二段階埋納説」が有力だった。
だが、松帆銅鐸の埋納年代は、市教委が昨年、銅鐸に付着した植物片に放射性炭素(C14)年代測定を実施。紀元前4~前2世紀ごろの可能性の高いことが判明した。今回の分析結果はそれを補強し、想定より150年以上古い紀元前にまでさかのぼる可能性が高まり、従来の説に一石を投じる形となった。
松帆銅鐸は、なぜこの時期に、…