福井県小浜市の発心寺(ほっしんじ)が所蔵する駕籠(かご)について、江戸幕府の老中・大老を務めた小浜藩主の酒井忠勝(1587~1662)が初入国した際、3代将軍徳川家光(1604~1651)から与えられたものとみられることが分かった。福井県が31日発表した。全国で現存する将軍用の駕籠は徳川家康のものに限られ、重臣だった酒井忠勝と徳川家光の親密さを示す資料として注目される。
駕籠は幅86センチ、長さ118センチ、高さ102センチ。担い棒の全長は497センチ。男性用の大型の駕籠で、窓に貼られた布には葵唐草(あおいからくさ)の模様、担い棒の両端の金具には幕末に付けたとみられる徳川家の「三葉葵(みつばあおい)」の家紋があった。
昨年12月、発心寺の改築にあたって天井につるしてあった箱の中からみつかった。寺から寄託された県立若狭歴史博物館(小浜市)が調査し、担い棒が黒漆塗りで、ヒノキの薄いひもを編んだ「網代(あじろ)」が全体に張られ、漆塗りの仕上げが将軍仕様の特徴を持つことが判明した。酒井家の歴史を記した「酒井家文庫」には、武蔵国川越藩主だった忠勝が1634(寛永11)年、若狭国小浜藩主を命じられて初入国する際、徳川家光が自ら使っていた駕籠や馬、鞍(くら)などを与えたとの記録があり、博物館は家光から拝領した将軍用の駕籠の可能性が高いとみている。
駕籠は廃藩まで小浜城で保管されたが、1870(明治3)年に発心寺の檀家(だんか)が購入し、寺に寄付したとされる。東京都江戸東京博物館の斎藤慎一学芸員(日本中世史)は「駕籠の外装や内装は武家社会での身分を表し、江戸時代前半の定型化し始めたころの作品だろう。近世武家社会の階層性を表現するものとして貴重な資料だ」と話す。
駕籠は8月1日~9月9日、若狭歴史博物館(0770・56・0525)で特別公開される。(堀川敬部)