戦国時代の築城とされてきた福井県坂井市の丸岡城天守(国重要文化財)について、江戸時代の寛永年間(1624~44年)に建てられたとみられることが、坂井市教育委員会の学術調査でわかった。市は「現存する最古の天守」と城の重要性を訴えてきたが、科学分析による結果を受けて軌道修正を迫られそうだ。
市教委は城の国宝化を目指し、建築史学、歴史学、考古学、構造力学などの専門家による「丸岡城調査研究委員会」を発足。2015年度から調査を進めてきた。市教委によれば、現在の天守の柱や梁(はり)など主要部材について、年輪、放射性炭素、酸素同位体比の三つの年代調査を実施。1948年の福井地震で天守は倒壊したが、主要部材の多くが江戸時代の1620年代後半以降に伐採されたことが明らかになった。このため、調査委は寛永年間に丸岡藩初代藩主の本多成重(なりしげ)が整備したと結論づけた。
丸岡城天守の創建年代については、主に織田信長の重臣だった柴田勝家の甥、勝豊(かつとよ)による天正4(1576)年説と、本多成重が入城した後の慶長18(1613)年以降説が唱えられ、市もホームページなどを通じて最古の天守とPRしてきた。だが、文化庁によると、1592(文禄元)年築とされる松本城乾小天守(いぬいこてんしゅ)(長野県松本市)や、1601(慶長6)年築とされる犬山城(愛知県犬山市)など寛永年間よりも前に築城された天守が存在し、丸岡城を「最古の天守」とみることは難しくなった。
一方、福井地震で倒壊後も江戸…