名古屋の中心部を南北に貫く久屋大通公園にある名古屋テレビ塔は、耐震化工事のために来年1月からしばらく休業する。テレビ塔に詳しいガイドによるツアーがあると聞き、参加してみた。(日高奈緒)
【特集】名古屋駅、変わりゆく街
ツアーは東海3県の魅力を探る旅を提供する「大ナゴヤツアーズ」が企画。6月下旬の晴れた日曜日、テレビ塔の入り口に集合した。
ガイドはテレビ塔に勤務して39年の若山宏さん(57)。常務も務めるテレビ塔の「最古株」だ。メモも持たずに博物館の学芸員のようによどみなく説明していく。
「テレビ塔は高さ180メートルもあるのに、地中の基礎の深さはたったの6メートル。開業当時から下に地下鉄が通ることが決まっていたからなんです」
地震の揺れや風圧にどう耐えているのか。秘密は足元の鉄筋コンクリート製アーチだという。ツアー参加者と地上から塔を見上げると、2本の巨大なアーチが十字に組み合わさり、塔の4本の足につながっていた。テレビ塔は金属製とばかり思っていたので、意外だった。
続いて塔の周辺へ。西側にある巨大な6本のクスノキはテレビ塔開業当初に植えられたという。北側にはレトロなガス灯が残っていた。
北側に延びるリバーパークやロサンゼルス広場も回った。いずれも再開発の対象になっている。名古屋の姉妹友好都市から贈られた巨大オブジェがあちこちに並ぶ。再開発で移動が決まっており、行き先は未定という。
テレビ塔に戻り、まず向かったのは一般客は入れないという地下。パイプだらけの暗い部屋に幅2メートルはあるだろうか、巨大な発電機が鎮座していた。停電時に展望台までのエレベーターの電力を賄うために設置された。
地下から内階段を上る。2階部分にはかつて各テレビ局が入っていた部屋がある。各局の機材が置かれていたという部屋は広々としていたが、今は空き部屋になっていた。
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次は展望台行きエレベーターのあるホールへ。2基のエレベーターのうち、週末のみ稼働する1基に乗り込んだ。1972年に設置され、どこか昭和風の内装で、扉が手動式と珍しい。
ホール脇のドアから外階段へ向かい、展望台のある地上90メートルまで上る。足元の鉄骨の隙間から見える地上の風景に目がくらみ、恥ずかしながら途中でリタイア。景色とスリルを楽しめるので、高所に強い人はぜひ挑戦してほしい。
ガラス張りの展望台は観光客らでにぎわっていた。北に名古屋城、北東にナゴヤドームがはっきり見えた。その上にはフェンスに囲まれたスカイデッキがある。外の風を感じながら、参加者と景色を眺めた。
友人とツアーに参加した名古屋市の会社員、藤本美穂さん(26)は「知らないことの方が多かった。歴史を知ると再開発で周りをすっかり変えてしまうのはもったいない気もしますね」と話していた。
名古屋テレビ塔は東京タワーより4年早い1954年6月20日に開業した。NHKとCBC、東海テレビ、メ~テレが電波塔として使った。
東京タワーができる前、東京では各放送局が鉄塔を建設し、「不経済」と批判されていた。開業当時のテレビ塔のパンフレットには塚田十一郎・郵政大臣(当時)が「将来他のテレビ放送局が免許されましても、共用できるような設計になっておりますことは、まことに結構」とコメントを寄せている。
名古屋発のテレビ放送を支えてきたが、2011年にアナログ放送が終了し、本来の役目を終えた。テレビ塔を含む久屋大通の活性化は名古屋市が抱える課題の一つだ。
7月、テレビ塔は耐震化工事のために来年1月から20年7月までの休業を発表。しばらく展望台への立ち入りも出来なくなる。名古屋で生まれ育ったガイドの若山さんは言う。「時代が変わっても、テレビ塔は名古屋の誇り。古いものも大切にしながら新しい街にしていきたい」