深紅の優勝記念旗なぜ2本 26回大会・和歌山の旧制中——贯通日本资讯频道
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深紅の優勝記念旗なぜ2本 26回大会・和歌山の旧制中

戦争による大会途絶のため、夏の甲子園での3連覇の夢を断たれた旧制海草中学(和歌山、現・向陽)には、1940年の26回大会の制覇を記念した深紅の旗がなぜか二つ、贈られたらしい。母校でも忘れられていたその事実が、当時の在校生から寄せられた朝日新聞への投稿を機に再び日の目を見た。


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「丸くグルグル巻きにされて中身は分からないものの、優勝旗に違いない。教頭先生に尋ねたら、紛れもなく優勝旗だが『誰にも言うな』と箝口令(かんこうれい)だった」


7月中旬、本社「声」欄に一通の手紙が届いた。戦時下の海草中の校舎をつなぐ渡り廊下に面した倉庫内に、深紅の旗が無造作に置かれていたという。投書の主は大阪市住之江区の天田(あまだ)善造さん(86)。44年に入学した野球好きの少年だった。


海草中は39年の25回大会と翌年の26回大会を連覇。25回は嶋清一投手(明治大から学徒動員、45年戦死)が全5試合を連続完封し、準決勝と決勝で無安打無得点の偉業を達成。26回は真田重蔵投手(後年プロ野球松竹、阪神など)が原動力に。だが、戦時体制のもとで大会は翌41年、地方大会の途中で文部省次官通達により中止され、戦後まで途絶した。


優勝候補の筆頭だった海草中は3連覇への夢を絶たれた。戦時下の42年12月3日に真田主将らが朝日新聞大阪本社へ優勝旗を返還に来たという記事が、翌4日付紙面に出た。真田主将は村山長挙社長から優勝の「記念旗」、つまりレプリカをもらったとある。天田さんは「自分が見たのはその旗だと思う。既に『敵性競技』の野球部は解散していた。旗を飾っておくと配属将校の手で捨てられかねず、倉庫に入れていたようです」と振り返る。


だが、取材過程でもう一つの事実がわかった。38年前の80年8月7日付本紙の甲子園大会開幕特集によると、26回大会の優勝旗のレプリカは2本あるのだという。


戦後再開された大会は、46年8月15日に始まった。海草中は全国大会出場を果たせなかったが、主将が開会式に参加し、「栄光の大優勝旗を返還」(同16日付)した。「この時、再びレプリカが手渡されたのかどうか。終戦直後の混乱期だけに、大会関係者の記憶は、もう一つはっきりしない」と80年の記事は書く。


海草中の連覇に関わる品は、和歌山市内に2011年開館した「わかやまスポーツ伝承館」で展示されているという。ただ訪ねてみると、そこにあったのは1本のみ。館長の江川哲二さん(55)は「同じ年の記念旗が2本あるなんて、聞いたことがない」と言う。今の向陽高でも関係者の反応は同様だった。


「もしあるとしたら……」。野球部の山本慎部長(36)と同窓会館へ向かった。ガラス棚に他部の優勝旗などが並んでいる。そこに紛れて、2本目が「あった」。


堀内孝貢監督(67)は「嶋投手が2008年に野球殿堂入りしたのも、松坂大輔投手が98年の80回大会決勝で無安打無得点を成し遂げたのを機に、再評価が進んだ結果だった」と語る。「100回を重ねた大会には埋もれた逸話も多いだろう。それらを掘り起こし、新たに継承することで、野球ができる平和の尊さを次世代へ伝えることが今後の課題だと思う」と話した。(編集委員・永井靖二)


◎戦中~戦後の旧制海草中をめぐる動き ※朝日新聞記事などから


1939年8月 嶋清一投手が25回大会で全5試合完封、準決勝と決勝を無安打無得点で優勝


40年8月 真田重蔵投手を擁し、26回大会で連覇


41年7月 文部省次官通達で27回大会が地方大会で中止


42年12月 真田主将、朝日新聞に「優勝旗を返還」


44年4月 天田善造さんが入学


45年3月 学徒動員の嶋清一投手、24歳で戦死


46年8月 戦後再開の28回大会開会式でも「優勝旗を返還」


同大会は浪華商が優勝した


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