(9日、高校野球 興南6―2土浦日大)
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三塁コーチの道を究める――。土浦日大の平野太進(たいしん、3年)は今夏までの約2年半、コーチボックスを「定位置」にしてきた。
入部して約2カ月経った頃。小菅勲監督から三塁コーチへの転身を提案された。中学では外野手のレギュラー。甲子園でのプレーを目指して土浦日大を選んだので、すぐには返答できなかった。
状況判断が即時にできる。小菅監督は平野に素質があると判断した。平野も「三塁コーチは10番目のレギュラー」という監督の言葉に魅力を感じた。
でも、ミスが続いて数カ月で「クビになった」。練習試合の運営などをする「4軍」に降格した。
2年の春、再びチャンスをもらった。「これで生き残るしかない」。練習では欠かさずコーチボックスに立ち、感覚を養った。相手の肩の強さや位置取り、走者の足の速さに打球の強弱。自分なりの「判断基準」を築き、昨夏の新チーム始動から「1軍」の三塁コーチに返り咲いた。
平野の判断に逆らう選手は、もういない。腕を回せば本塁突入。体を大の字にして制止したら必ず止まる。主将の鈴木健太(3年)は「努力してきた平野の指示は絶対」と話す。茨城大会でもベンチから「ストップ」の声が飛んだ場面で迷わず腕を回し、貴重な1点につなげた。「何千球という打球を見てきた自信があるから」と平野。
チームにとって2年連続の甲子園、初戦は興南(沖縄)だった。打線がつながらず、平野の見せ場はなかなか訪れなかった。2点を追う八回、無死一、二塁で4番井上莞嗣(かんじ)の鋭い打球が右前へ。平野は走者を三塁で止めた。満塁機からの反撃に賭けた。
念願だった甲子園での勝利は後輩たちに託す。試合後、「三塁コーチだったから、周りを見ることができた。人間的に成長できた」と話した。(笹山大志)