佐賀商の捕手、本嶋大暉(だいき)君(3年)は、時折見かける黒いチョウを亡き父に重ねながら、練習に打ち込んできた。苦境を乗り越えつかんだ初めての甲子園で、成長した姿を見せた。
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7日の高岡商戦の七回表、1点を追う場面で先頭打者として打席へ。フルカウントから狙い澄ました直球をバスター打法で左翼へ。二盗に成功し、敵失で生還した。
父の輝将さんがコーチを務める少年野球チームで、小2から野球を始めた。小4のとき、輝将さんは歩くだけで息切れするようになる。拡張型心筋症という難病。長く入院し、退院後も自宅療養を続けた。
本嶋君は中学で硬式野球のチームへ。内野手として全国大会にも出た。
高校は佐賀商を志し、家族であこがれの野球部の試合を見に行った。試合後、夜勤の仕事に向かう父を笑顔で見送った。翌朝。輝将さんは倒れて病院に運ばれ、そのまま亡くなった。40歳だった。
多くの参列者が訪れた通夜。母ゆかりさん(44)の知人が天井に黒いチョウがいるのを見つけた。「お父さんが見守ってくれている」。家族でそう話した。
翌年、佐賀商に進学した本嶋君の前に黒いチョウは幾度となく現れた。そのたび、父のことを思った。
昨秋、内野手から捕手に転向した。秋の県大会3回戦では捕逸で頭が真っ白になり、その回の大量失点が敗北につながった。「自分が変わらないと」。捕球練習を何度も繰り返した。
佐賀大会の決勝は父の命日の7月25日。その日の試合前、祖母の広子さん(66)から電話があった。「球場で黒いチョウを見たよ」。優勝の瞬間、本嶋君は泣き崩れ、仲間に肩を抱かれた。試合後、自宅の仏壇に「見守ってくれてありがとう」と伝えた。
甲子園では1―4で敗れた。だが投手の球を後ろにそらすことは一度もなかった。安打を放ち、九回の最後の打席にも敵失で出塁。再び二盗を試みるなど、最後までガッツを見せた。
捕手だから甲子園の青空がよく見渡せたという本嶋君。黒いチョウは、現れなかった。もう安心してくれたのかな、と思った。
スタンドから観戦したゆかりさんは「大暉は立派に成長してくれた。これからは自分の力で人生を切り開いていってほしい」。(中西皇光)