時折激しい雨が降る中、多くの人が会場を埋めた。11日にあった米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する県民大会。直前に急逝した翁長雄志(おながたけし)知事への追悼ムードに包まれ、登壇者も参加者も、辺野古移設に反対し続けた「知事の遺志を継ぐ」と口をそろえた。
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【特集】翁長雄志知事
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「自分たちで声を上げることが必要だと思った」
参加者たちは那覇市の奥武山(おうのやま)陸上競技場に、辺野古の海をイメージするブルーの服や帽子を身につけて集まった。翁長氏を悼んで黙禱(もくとう)しながら、肩を震わせたり、涙をぬぐったりする人もいた。
あいさつに立った翁長氏の次男で那覇市議の雄治(たけはる)さん(31)は「残念な結果となりました」と言葉を詰まらせ、「父は生前『沖縄は試練の連続だが、ウチナーンチュ(沖縄の人)が心を一つにして闘うとき、想像するよりも大きな力になる』と何度も言っていた。辺野古新基地建設が止められたと父に報告できるよう頑張ろう」と呼びかけた。
名護市の学童指導員比嘉陽子さん(40)は娘の中学2年陽華(ひなか)さん(14)、小学5年仁紅(にこ)さん(10)と初めて県民大会に参加した。「私たちの気持ちを代弁してくれた翁長知事が亡くなり、自分たちで声を上げることが必要だと思った」
美しい辺野古の自然は、一度奪われれば元には戻せない。一方で2月の名護市長選では、移設を事実上容認する候補が当選した。周囲には「反対しても意味がない」と無力感を語る人もいる。陽華さんにも「別にいいじゃん」と語る友人がいるという。だが、会場に来て「こんなに声を上げる人がいると思わなかった」と驚いた。「自然を守っていくため、こういう動きが広がってほしい」
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