夏休み明け、学校へ行くのがつらい――。この時期、そんな思いを抱えて悩む子どもたちが少なくありません。一方、親にとっては、わが子が学校に通えなくなるのは心配です。そんなときはどうすればいいのか。中学生の姉妹の母でもある俳優の石田ひかりさんが、フリースクール「東京シューレ」の奥地圭子理事長と語り合いました。みなさんと考えます。
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以前に比べて「不登校」についての理解は広まってきました。ただ、親としては、わが子が「普通」の枠から外れることが不安なのも事実です。保護者として求められる役割とは――。
どんなときに不登校に?
石田 私には、中学2年と3年の娘がいます。彼女たちにとって、学校は楽しい場所のようです。私も学校は好きで、行けなくなるほど悩んだ経験がありません。不登校の原因には、どんなものがあるのでしょうか?
奥地 状況によって違いますね。いじめなどで苦しい思いをしたとか、何となく学校の雰囲気になじめないとか。逆に「勉強大好き」「先生大好き」という子でも頑張り過ぎて、燃え尽き症候群のようになり、通えなくなる場合もあります。
石田 私が子どもの頃は、登校しないという選択肢が、今ほど一般的ではない時代でした。それを選ぶというのは、大変な勇気がいることですよね。
奥地 私の息子にも、不登校経験があります。私は当時、小学校の教諭でした。「教員がわが子も満足に育てられないのか」と、自責感にかられたことを覚えています。振り返ると、私も「普通は学校に行くでしょ」「このくらいで負けちゃダメ」と考えていました。その後、児童精神科医の先生と出会い、不登校は自己防衛のための反応だと気づきました。
石田 子どもが弱いところを見せてきた時に、まずは寄り添う、肯定するのが大事なんですね。
奥地 子どもって、自分を持っている。信頼してもらえる親になるには、同じ目線で考える必要があると感じますね。
子どもの声でつくる学校を
奥地 今って、情報化が進んで時代状況が変わり、「みんな一緒が良い」との考えは好ましくなくなっていると思います。もっと、子どもの声で学校をつくっていくと良いんじゃないでしょうか。
石田 子どもたちは、ものすごくお勉強していますよね。授業を少しだけ早く終わらせて、自由に活動できる時間がつくれると、学校の「居心地」が変わるかもしれませんね。
奥地 そうですね。2007年に設立した「東京シューレ葛飾中学校」(東京都葛飾区)では、すべての行事を、子どもが実行委員会形式で進めるんです。苦労もありますが、結果的には満足感や達成感につながる。コミュニケーション能力も育ちます。
石田 先生にとっても、子どもたちのエネルギーを毎日受け止め続けるのは、本当に大変でしょうしね。子どもたちが主体になることは大賛成です。
奥地 「これは子どもたちに任せてみよう」という考え方が、もっと広がっていくと良いですね。
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対談を通じ、学校になじめない子どもたちの現状について理解を深めた石田さん。学力偏重ではなく、子どもと同じ目線で、その「生き心地」を大切にする教育になってほしい、との思いを抱いたそうです。「娘たちに『学校に行きたくない』と言われたら?」と記者が尋ねると、「私の時代はこうだったとは考えないで、一緒に苦しみに向き合いたい」と話していました。(神戸郁人)
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いしだ・ひかり 1972年、東京都出身。中学生時代に芸能界デビューし、大林宣彦監督の映画「ふたり」などで主演を務める。現在はテレビ番組の司会を始め、各方面で活動。中学生の娘2人を育てる母親でもある。
おくち・けいこ 1941年、東京都生まれ。元公立小学校教諭。息子の不登校がきっかけで、85年にフリースクール「東京シューレ」を設立。不登校について考える親の会や、子どもの居場所づくりに関わる団体をつなぐ全国組織「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」の立ち上げなどにも関わる。
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朝日新聞デジタルのアンケートに寄せられた声の一部を紹介します。
●「40代非常勤講師(女性)です。自分が小中学生の頃、夏休み明けは憂鬱(ゆううつ)でした。仲の良い友達と楽しそうにしているグループに引け目を感じたこともあります。いま悩んでいる人は、気の合いそうな先生に相談してみてください。自分自身は、それぞれの子の気持ちに寄り添える教員でありたいと思っています。同じ気持ちの先生もきっといます。担任じゃなくてもいいんです。信頼できる人を見つけてください」(茨城県・40代女性)
●「高校時代、夏休み明けに学校に行くのがつらくなり、学校に行くふりをしては、通学途中に私服に着替えて、図書館で時間を潰していました。そのおかげで、いろんな本を読んで、様々なことを考えることができた。今考えても決して無駄時間ではなかったと思っています」(東京都・20代男性)
●「小中学のときは比較的思わなかった。中2のとき突然はぶられて死ねとか言われても自分は何も悪くないし友達もいたから何も気にしなかった。高校入学時にも友達ができなくて1人でいて陰口たたかれたけど、勉強に力入れて学年一位取って教師を味方につけたら何も言われなくなったし友達もできた。ただ自分の部屋がなくて1人でいる場所がなく家にも教室にもいたくないときは保健室に行って定期的に泣いて心のバランスを取っていた。学校に行きたくないときは身内に良い顔をされなかったけど無理に行かなかったし、遅刻とか早退した。夏休みの終わりは関係なく、行きたくないときは保健室にはすごくお世話になった」(石川県・20代女性)
●「小学校の頃はただ単に友達がいなくて朝起きるのがつらかったから学校に行きたくなかったが、中学校にはいるといじめが始まりそれで行くのをやめた。小学校の時は親に引きずられて無理やり行っていたが、いじめが始まりそれを親に告白したら行かなくていいと、言われてとても安心した覚えがある。自分でどうにかしなければいけないことと、自分でどうにもできないことがある。自分でどうにもできないことは信頼できる人と相談してときには行かないという選択も必要だと思う」(海外・30代女性)
●「学校にいる時間はちょっとなのだから頑張ろうと思って乗り越えた」(京都府・10代男性)
●「偶然インターネットで見つけた歌に救われた。『死にたくなる時もあるけど、僕らは生きる』といった内容で、ネガティブな感情も含め自分を肯定してもらえた気がした。どんなにつらい時でも、学校外の世界にアンテナを張ることを忘れなければ、乗り越える道は見つかるのかもしれない」(岩手県・10代その他)
●「都会の街中をふらふらした。古本屋やレコードショップを見て屋台でクレープを食べたりして。だからお願いだから(小学生では無理かもだが)大人は街中で中高生がふらふらしていても、犯罪につながるようなことは別として、大目に見て欲しい。気持ちが落ち着くまでの中継地点としての街があったから、親や教師に説明するまでに私は登校することができました。まだ子供のうちは自分の焦燥の原因を明確に言語化できないのだから、全部親や保健室で説明しろったって、それは子供をわかっていないと思う」(東京都・40代女性)
●「私が最初に学校に行きたくないと思ったのは小5の夏休み明けでした。その時は親にも言わず休み、その後親に相談しました。小5の二学期は行ったり行かなかったり、小6の一学期は休むことなく行きましたが、二学期からは家にいました。中学も行けず、一年の時は適応指導教室に週一で通い、一年の冬からフリースクールに行っていました。そこでは何をしても良く、自由なスクールだったので休むことなく通えました。適応指導教室には、担当の心理カウンセラーが変わり、合わなかったので行かなくなりました。中3の秋ごろからフリースクールで受験勉強を始め、見事チャレンジスクールに合格することができました。今では、高校に通っています」(東京都・10代女性)
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