翁長雄志(おながたけし)知事の急逝に伴い、9月30日に投開票される沖縄県知事選。翁長氏の後継として自由党の玉城(たまき)デニー衆院議員(58)、安倍政権が推す対立候補として佐喜真(さきま)淳(あつし)・前宜野湾市長(54)が立候補する。事実上の一騎打ちとなる2人は、どんな人物なのか。
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玉城デニー氏 DJで人気に
那覇市で29日に立候補を表明した玉城氏は、直後に翁長氏の自宅を訪れ、霊前で報告した。翁長氏が生前に録音した音声で名前が挙がり、急きょ擁立が決まった。「オール沖縄」勢力の支援を受ける。
沖縄本島中部のうるま市出身。父は米兵で、幼い頃に沖縄を離れ顔を知らない。母は生計のために働き、母の友人宅で養子として育てられた。「デニー」は愛称で、本名は康裕(やすひろ)だ。
住民が米軍への怒りを爆発させ、車両を焼き払った1970年の「コザ騒動」は11歳の時。自著で「また戦争だ、どうするんだろう」と思ったと振り返っている。福祉の専門学校を卒業後、コザ(現沖縄市)で米兵相手のバンド活動をし、地元ラジオ局のDJとして人気が出た。
42歳で沖縄市議選でトップ当選し政界入り。2009年の衆院選で民主党公認で初当選したが、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の県外移設断念や消費増税方針に反発して離党。以後は小沢一郎氏(現自由党代表)と行動を共にしてきた。
自らの政治的スタンスを「保守中道」と言う。米軍基地従業員による全駐留軍労働組合を支持基盤に、オール沖縄の支援も受けて当選を重ね、4期目の現在は自由党幹事長兼国会対策委員長を務める。
立候補表明会見では、大切にしている言葉をウチナーグチ(沖縄言葉)で言った。「トゥーヌイービヤ、ユヌタケーネーラン」。10本の指は同じ長さのものはない。十人十色、多様性を認めようという意味だ。
翁長氏は生前、玉城氏についてこう言っていたという。「沖縄の戦後史を背負った政治家だ」(伊藤和行)
佐喜真淳氏 落選ゼロの前市長
翁長氏を批判してきた自民党県連が擁立した佐喜真氏。「保守系首長の若手エース」と評され、安倍政権幹部とのパイプも太いとされる。過去6回立候補した選挙で落選したことは、一度もない。
米軍普天間飛行場を抱える宜野湾市生まれ。父親は市議会議長も務めた「地元では有名な資産家」(市議会関係者)で、千葉商科大卒業後フランスに滞在し、空手の指導などもした。
会社員を経て、2001年に宜野湾市議に初当選し、県議に転身。45歳で自民党県連政調会長を務めた。09~12年には憲法改正を目指す「日本会議」の正会員でもあった。
普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画の推進派で、10年に自民党県連が県外移設を求める方針を打ち出した時には、最後まで抵抗した。だが経済停滞の打破を訴え、革新市政から27年ぶりに市長の座を奪還した12年の宜野湾市長選では「名護市の反対で、今は県内移設は難しい」と県外移設を主張した。
市長在任中は「辺野古」についての言及を封印。普天間の危険性と早期返還を訴え続けてきた。24日の会合でも「普天間飛行場の返還をできるか否かが知事選の大きな争点」と主張。辺野古には触れず、「普天間」を10回繰り返した。
県内の保守系首長でつくる「チーム沖縄」の中心的メンバーで、6月には朝日新聞の取材に「(翁長県政は)基地以外のことをしていない。『オール沖縄』は基地反対ばかりで、翁長知事が何をしているか疑問だ」と批判した。
周囲からの人物評は「気さく」「明るい」。早朝の地域のラジオ体操にもこまめに顔を出す。(山下龍一)