太平洋戦争中の1944年2月、東シナ海で米軍に撃沈され2700人超が亡くなったとされる民間の戦時徴用船「りま丸」。遺体の多くが漂着し、仮埋葬されたとされる鹿児島県西之表市の無人島「馬毛(まげ)島」(約8平方キロ)で、厚生労働省の遺骨調査が行われることになった。悲劇から74年。関係者は遺骨が遺族のもとに戻ることを期待している。
日本郵船が所有していた「りま丸」は陸軍に徴用され、兵士らの輸送を担った。「戦没した船と海員の資料館」(神戸市)の調査によると、敗戦前年の2月7日、軍人ら3241人を乗せ、香港に向け、門司港(現北九州市)を出港。九州南西の東シナ海で8日、米潜水艦の魚雷を受けて沈没した。馬毛島まで300キロ以上離れており、遺体の多くが10~15日後に馬毛島に漂着したとみられる。
厚労省が西之表市からの依頼で今年6月、当時を知る元島民に聞き取りをしたところ、島の沿岸部に4カ所の仮埋葬地があるとの証言を得た。「氏名の分かる兵士には名札を付けて火葬した」「58年に兵士96体の遺骨を収集し法要が営まれた」などの情報もあり、遺骨が残されている可能性があると判断。今月30日~来月1日に現地で試掘調査をすることにした。
証言した元島民の押川登さん(…