奈良市の興福寺(多川俊映貫首〈たがわしゅんえいかんす〉)で、中核施設の中金堂(ちゅうこんどう)が301年ぶりに再建されたことを祝う落慶法要が7日、約3千人が出席して営まれた。法要は11日まで5日間続き、計約1万4千人が参列する見込み。
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法要は午前10時に始まった。祝いの能楽「翁(おきな)」などに続き、ハスの花びらをかたどった紙片「散華(さんげ)」が、中金堂や隣接する五重塔の屋根からまかれた。多川貫首が完成を諸仏に告げる奉告(ぶこく)文を読み上げた後、東大寺の狹川普文(さがわふもん)別当がお祝いの言葉を述べた。
中金堂は東西37メートル、南北23メートル、高さ21メートルで、同じ奈良市の平城宮跡に復元された宮殿施設、第1次大極殿とほぼ同じ規模。奈良では江戸時代に再建された東大寺大仏殿(東西57メートル、南北50・5メートル、高さ46メートル)に次ぐ大きさの木造建築だ。中金堂の本尊は1811年に造られた釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)。その周りに国宝の四天王像(13世紀)などが立つ。
興福寺は710年の平城京遷都と同時に創建され、中金堂はその4年後にできた。平氏の南都焼き打ち(1180年)など戦災や火事で7回焼失し、その都度再建された。だが、江戸時代の1717年の火災以降は仮堂でしのいできた。
1989年に就任した多川貫首が再建を発願。98年の発掘調査から20年がかりで完成させた。アフリカケヤキやカナダヒノキを調達し、創建時の基壇に当初の規模と様式で再現した。多川貫首は「典雅、端正、剛勁(ごうけい、力強さ)を特色とする『天平の文化空間の再構成』を目指してきた。その空気を感じていただければ」と話した。
中金堂を一般公開する「興福寺国宝公開2018」(興福寺と朝日新聞社主催)は20日から。拝観料は大人500円、中高生300円、小学生100円。問い合わせは興福寺(0742・22・7755)。(編集委員・小滝ちひろ、宮崎亮)