19年間続いた「ゴーン時代」。その幕開けは、1999年のことだった。
ゴーン流改革で工場消えた町 生活困窮したのに「なぜ」
ゴーン氏逮捕劇、仏では擁護論 日産幹部「我慢の限界」
「やばい案件がある」 捜査協力選んだ日産幹部たち
羽田に降り立ったゴーン容疑者を… 捜査は一気に動いた
「どれだけ多くの努力や痛み、犠牲が必要となるか私にも痛いほどわかっています」
45歳で、仏ルノーから日産の最高執行責任者に就いたカルロス・ゴーン容疑者。記者会見では、たどたどしい日本語でリストラ策への理解を求めた。
国内5工場の閉鎖、3年半でグループの14%にあたる2万1千人の人員削減――。「日産リバイバルプラン(再生計画)」と銘打ったリストラは、過去に例のない規模だった。
改革は結果となって表れた。2001年3月期決算は過去最高益を記録。「まだほんの始まりだ」。強気な言葉の通り、その後も最高益を更新し続けた。
バブル崩壊の後遺症から抜け出せずにいた日本経済にあって、「ゴーン流」は成功モデルの代名詞となった。業界に目を光らせてきた霞が関のベテラン官僚も「部材の調達費を安く抑えることに成功し、社員の無駄遣いも徹底して削った。死に体の日産をよみがえらせた」と手腕をたたえた。
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「目標を達成すれば、ボーナスや出世にも反映される。今までの日産と違う」
ゴーン容疑者が推し進めた「成…