平成を代表する自動車と言えば世界初の量産ハイブリッド車「プリウス」だろう。初登場から普及への道を振り返った。
トヨタ自動車
愛知トヨタ自動車の秘書室次長、前田雅夫さん(57)は約20年前の様子を、今も覚えている。「試乗希望者があんなに多いのは初めて目にする光景でした」。当時、営業スタッフだった。
1997(平成9)年暮れ、トヨタ自動車のプリウスが発売された。エンジンとモーターで走る量産のハイブリッド車(HV)は今では「普通の車」だが、この時が世界初登場だった。地球環境への影響を考えながらマイカーを選べる時代になった。販売店には試乗客の行列ができた。
HVはエンジンに加えて高出力モーターを使い、二つの力を組み合わせて走る。さらに、減速時などには車輪の回転でモーターを回して発電し、蓄電する。装置は一気に複雑になり、新技術が満載された。
販売店も開発側の苦労は聞かされていた。警察署から「事故車に触る時、感電しないように注意するのはどこか」などと問い合わせがあり、試乗車で説明に出かけたこともあった。
「もし故障したら、すぐに修理に行く。営業員とサービスエンジニアのチームを何組もつくって備えました」。そんな態勢を敷いたのは戦前のトヨタ最初の車、G1トラック以来だったという。
初代プリウスは1リットルのガソリンで28キロの距離を走るとされた。当時の同じ大きさの車に比べると2倍の性能だ。価格は100万円近く高い。それでも、注文して車が届くまで半年待ちの人気ぶりだった。
プリウスの発売直前、名古屋市名東区で司法書士事務所を開く佐野久江さん(67)は中型のフランス車を買った。中型バイク歴も20年ある。夫婦で出かける時は、全国どこであろうとバイクか車で行った。そのフランス車はガソリン1リットルで6キロしか走らなかった。「地球環境の時代でしょ、センスが悪いみたいで恥ずかしかった」
5年後、初代プリウスに乗り換え、9年で20万キロ乗った。「ガソリン代は3分の1。それでいて中速からの加速がいいし、足回りの剛性も高くて気持ちよく走れた」。次も3代目プリウスを選んだ。
トヨタ自動車のまとめによると、初代プリウスの販売台数は6年で12万台。2003年発売の2代目は119万台、3代目は227万台に伸び、10年には単年で50万台を超えた。プリウスより小型のHVアクアは11年の発売以来、約170万台を売った。
トヨタのHVは17年1月に、世界販売台数の累計が1千万台を超えた。レクサスブランドを含め、HV専用は7車種に増え、HVも選べる車は29車種ある。
「発売当初にプリウスに乗った人はオタクだとも言われたが、今では普通の車になるまで普及することができた」。初代プリウスのチーフエンジニアだった内山田竹志・トヨタ自動車会長(72)は1千万台超えの時にこんなコメントを出した。
自動車は今、電気自動車や水素自動車、さらに自動運転車へと大きな技術革新の時を迎えている。かつての次世代車プリウスは「普通の車」になって進化を続けている。
取材後記 電気や燃料のつくられ方も気にとめたい
「地球温暖化防止」は今も時代の重要なキーワードだ。電気自動車(EV)が自然エネルギーの電気で走れば、環境負荷は飛躍的に小さくなる。しかし、自動車の環境負荷を測る現在の国際基準は、電気や燃料を車に積んだ後の環境性能しか見ていない。発電のために石油や石炭を燃やす負荷は盛り込まれない。これは中途半端だ。発電負荷を合わせると、大気汚染が激しい中国で走るEVがHVよりエコだとは言い切れない。自動車ユーザーの我々は車の環境性能だけでなく、電気や燃料のつくられ方も気にとめたい。(六郷孝也)