しこ名が「萩原」の時代から稀勢の里に注目してきた元横綱審議委員で脚本家の内館牧子さん。土俵を去る横綱への思いをつづってもらった。
苦しんだ2年、横綱は「孤独で強い」ラオウに己を重ねた
稀勢の里、「強さ」より武骨な生き様 不器用ゆえの引退
フォトギャラリー「横綱・稀勢の里 引退」
もう25年近く昔のことだが、有名企業の社長と対談したことがある。その時、私は質問した。
「何かを見切る時、そのタイミングはいつですか? 何を根拠に撤退を決断しますか?」
社長はスパッと答えられた。「これ以上突っ込んでいくと回収できるような気もするし、深みに入るような気もする。それが見切りの潮時」
非常に納得できる言葉だった。以来、私自身の拠(よ)り所になっている。
だが、その会社の役員たちはそれぞれ潮時の感じ方が違い、「まだやれる」と言う人たちもいた。その中で社長が理詰めで、そして自身の感覚を信じて決断する。
第72代横綱稀勢の里が引退を決めた。
平成29年初場所後に横綱昇進を果たし、続く春場所も劇的な優勝を飾った。日本中が沸き上がり、若貴以来の大相撲フィーバーと言われた。だが、春場所の怪我(けが)により、連続8場所の休場である。途中休場を繰り返し、また負け方も悪すぎた。
「横綱」という地位は、決して醜態をさらしてはならない。おそらく、多くの人々は平成30年初場所で引退すると思ったのではないか。私も思った。だが出場し、4敗して途中休場である。5場所連続休場だ。これは「撤退」としては遅すぎるほどで、深みに入ってしまったと考えてもおかしくない。
それでも引退しなかった。さら…