兵庫県の各地で17日早朝、阪神・淡路大震災の犠牲者を悼む行事に多くの人が参加し、慰霊碑の前で手を合わせた。
特集:阪神大震災24年
「1・17のつどい」が開かれた神戸市中央区の東遊園地では、地震が発生した午前5時46分に黙禱(もくとう)した。
同市東灘区の袖裂(そでさき)真奈美さん(60)は9歳だった長女の香織さんを亡くした。震災のあった平成の時代が終わる。「震災を忘れないという気持ちを新たにしたい」と願い、ろうそくに火をともした。自宅がつぶれ、家族4人はがれきに埋まった。助け出されたが、香織さんは真奈美さんの腕の中で息を引き取った。「つらい気持ちは変わらない。何とか頑張って生きているよと伝えたい」
同市須磨区の大東(だいとう)一夫さん(81)は、東遊園地内にある慰霊と復興のモニュメントで、母としさん(当時84)の名前が刻まれたプレートを何度もなでた。神戸大空襲に遭い、苦労して自分たちきょうだい6人を育ててくれたが、自宅の離れが全壊してたんすの下敷きになった。「あなたが逝った年齢に近づき、時が経ったのを感じます」
2人が生きたことは私が記憶する
母(当時76)と兄(当時42)を亡くした東灘区の工藤末美さん(64)は竹灯籠(どうろう)を前に、「会いに来たよ」と心の中で声を掛けた。全壊した自宅から抜け出し、駆けつけた実家の文化住宅も倒壊。母は柱が顔に当たり、兄はたんすの下敷きになり亡くなっていた。「2人が生きたことは私が記憶していないといけない。ここに来てやっと年を越せた気がする」と話した。
東灘区の佐竹和樹さん(24)は建設会社に入社して1年目。昨年4月に就職のため神奈川県から引っ越した。「神戸に住む人間の一人として、つどいに参加したいと思った」
震災の教訓を伝える「人と防災未来センター」やメリケンパークを見学し、建設が防災に深く関わっていることを学んだ。「震災を経験していない自分にできることは少ないかもしれないが、災害に強いまちづくりに貢献したい」と誓った。(大木理恵子、岩田恵実、島脇健史)
思い出してあげることが供養になる
兵庫県西宮市の西宮震災記念碑公園でも午前5時46分、遺族らが黙禱(もくとう)した。大阪府吹田市の主婦増田満さん(65)は、犠牲者名が刻まれた碑をそっとなでた。西宮市に住んでいた姉の船平(ふなひら)順子さん(当時52)を失った。「思い出してあげることが供養になる」。姉が好きだったホットコーヒーとケーキを供えた。
震災3日後、姉を捜しに西宮に入り、遺体が見つかったと消防関係者に告げられた。小学校の一室に運ばれた遺体のそばに付き添った。多くの遺体が運び込まれてくる。「まるで地獄絵図のようだった」と振り返った。
昨年6月の大阪北部地震に見舞われ、実家がある愛媛県も西日本豪雨で被害が出た。「天災は止められない。何かあっても天命なんだと。そういう覚悟で生きています」
西宮市の建設業吉村平(たいら)さん(78)は、いとこ夫婦をしのんだ。市内で農業をしていた弘一さん(当時68)と妻町子さん(同64)が、倒壊した自宅の下敷きになった。「今年も来たよ。生き残った子どもたちや親戚を見守ってほしい」
吉村さん宅も全壊し、3年後にローンを組んで再建した。相次ぐ災害で被災者の苦労がひとごとではなく、新潟県中越地震や熊本地震、西日本豪雨の被災地でボランティアに参加した。「生活を立て直すことがいかに難しいか、身をもって知っている」
東日本大震災の大津波で37人が亡くなった岩手県野田村の中学生6人も訪れた。西宮市のNPO法人「日本災害救援ボランティアネットワーク」が招き、市内の小中学生と交流していた。
2年の山田煌晟(こうせい)さん(14)は自宅が流された。当時、保育園児だったが、高台から見た津波を覚えている。西宮に来たのは7回目。「災害が起きれば募金など支援に携わりたい。改めて震災について考え直す機会になった」と話した。
淡路島の北淡震災記念公園でも追悼行事があった。淡路市の広岡ひろ子さん(69)は、保育士の先輩を亡くした。今は淡路島にくる人に体験を語る。「お互いに助け合うきずなの大切さを伝えたい」(宮武努、崔採寿、吉田博行)