阪神大震災で、東日本大震災で、それぞれ娘を失った2人の母は、笑顔の残影を支えに日常を生きている。時が流れても悲しみは癒えない。ただ、理解されたと感じたとき、心が少し軽くなるのだという。
阪神大震災
東日本大震災
神戸市兵庫区の大石博子さん(69)は寒くなってくると夜、紺色のカーディガンをたんすから出し、パジャマの上に着て眠る。24年前、阪神大震災で亡くなった次女の朝美さん(当時16)が着ていた。
「あの子のぬくもりを感じられるのは、これだけ」
1995年1月17日。文化住宅2階の6畳間で、朝美さんと長女と3人で布団を並べ、寝ていた。床ごと崩れ落ち、生き埋めになった。2人の名前を呼んだが、朝美さんの返事はなかった。左手で握りしめていた朝美さんの右手が、いつの間にか離れていた。
七回忌を迎えるまでは仕事中も突然、涙が出た。毎晩のように夢も見た。決まって幼いころの笑顔だった。ひょうきんで、笑わせることが好きだった。
落ち着き出したのは震災から約…