阪神大震災前日の1995年1月16日夕、神戸市兵庫区の光明寺(こうみょうじ)はにぎやかだった。山西昭義(あきよし)住職(53)の姉・宏美さん(当時35)が、生後6カ月の華奈(かな)ちゃんを抱いて東京から戻ってきた。
阪神大震災
みんなで華奈ちゃんの面倒をみられるように1階の部屋を用意し、ベビーベッドを置いたばかりだった。
翌午前5時46分、震度7。妊娠4カ月の妻と2階で寝ていた山西さんは庭に落ち、生き埋めに。左肩に土壁、右肩に屋根の梁(はり)、両足の間に柱。山西さんと重なり合うように、仰向けになっていた妻が言った。「おなかの子を守らなきゃ。とっさに体をひっくり返して背中から落ちたの」
しばらくして妻は隙間から、山西さんも自力で抜け出した。母が「ひろみー、ひろみー」と叫んでいた。
夕方、がれきの中から2人の遺体が見つかった。宏美さんはやさしい顔で華奈ちゃんを抱きしめていた。
その夜、寺の敷地で運営する保…