ダイオキシン類が混入した油による大規模な食中毒事件「カネミ油症」の発覚から半世紀余りがたった。当初、西日本一帯で被害の届けが相次いだが、汚染油の製造時期や販売ルートの調査は徹底されず、被害の全容は分からないままだ。今も被害が各地に潜在している可能性がある。
大阪市港区の女性(78)は1960年代に九州から大工の夫と転居してきた。70年の大阪万博を前に街は活気づき、仕事は途切れることがなかった。
生活が暗転したのは油症が発覚した68年。夏ごろから家族4人全員が体中のしっしんやかゆみに見舞われた。2歳だった次女はぜんそく、尿毒症を発病し、その後20歳で卵巣がんの手術をした。夫婦とも強い倦怠(けんたい)感が続き、夫は現場で倒れるなど仕事もままならなくなった。長男は、57歳になった今も全身の皮膚の炎症に苦しむ。
一家はカネミ倉庫製の米ぬか油を買っていた。「出入りの米屋が熱心に勧めてきたのでよく覚えている」。だが、当時は油症だと思いもせず、医師も「原因不明」と首をひねるばかりだった。
2012年、油症について報じ…