歌人の与謝野晶子と夫の鉄幹が1928(昭和3)年、満州と内蒙古(うちもうこ、現・中国)を旅行した際、実現に尽力した南満州鉄道(満鉄)社員らに宛てた書簡約10点が見つかった。晶子の出身地、大阪府堺市の顕彰施設「さかい利晶(りしょう)の杜(もり)」で20日から初公開されている。 書簡は、満鉄のハルビン事務所長だった古澤幸吉(1872~1951)と妻のしづ子が26~30年に、晶子夫妻から受け取ったもの。神奈川県の旧宅に残っていたのを、孫で元朝日新聞記者の陽子さん(68)が発見した。 「満州と北京とを歌ひ一冊の本ニ致度(いたしたし)と思ひ立ち申候(そうろう)」(28年1月30日付、晶子から幸吉への書簡) 幸吉は、晶子、鉄幹らが創設した文化学院に長女が入ったのを機に、夫妻と親しくなった。書簡では、満州や北京に行きたいとの2人の希望を受け、幸吉が満鉄の招待として準備を整えた経緯がわかる。 晶子、鉄幹は28年5月上旬か… |
晶子と鉄幹、満蒙旅行「思ひ立ち」…友人あての書簡発見
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