チントンシャンの音色もゆかしい三味線ですが、近年、箏(こと)も含めて日本の伝統楽器の製造数が減り続けています。2020年の東京五輪・パラリンピックに向けて「和の文化」が注目される一方、足元では邦楽の危機とも言える事態が起きています。どうすれば豊穣(ほうじょう)な邦楽の世界を次代へ引き継げるのか。奏者や専門家の話を聞き、みなさんと考えます。
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減り続ける邦楽器製造数
こんなに減っているとは思いませんでした。一般社団法人・全国邦楽器組合連合会(全邦連)がまとめた三味線、箏などの年間製造数のことです。三味線は1970年の1万8千が2017年には3400に。箏も2万5800から3900まで落ち込んでいます。
光安慶太・全邦連理事長は「何かアクションを起こさないと、もう何ともなりません」と深刻に受け止めます。全邦連として大学の邦楽サークルと体験・交流型の演奏会を催したり、経済産業省と羽田空港国際線ターミナルでイベントを開いたりして、普及活動に懸命です。
人形浄瑠璃文楽の三味線奏者、鶴澤燕三さんは「三味線にかかわる製造技術もピンチということ。連綿と続いてくれないと義太夫節も大変困ります。国立劇場の研修所に三味線志望者があまり入ってこないのも心配です」と二重の危惧を感じるそうです。
邦楽低迷の大元は何なのでしょうか。プロの演奏家、愛好家、邦楽器店がそれぞれ減少し、楽器の原材料の調達も容易ではなくなり、悪循環に陥っているようです。元来、三味線には動物の皮をはってきました。世界の伝統楽器を見渡せば特異なことではありませんが、現在はさまざまな意見を踏まえて、人工皮革の改良も進んでいます。そんな中、あえていえば、演奏愛好家、愛好家の減少が発端なのではないでしょうか。
また、現行の制度では、邦楽の演奏者はいわゆる人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定されていますが、邦楽器の製造者は認定されていません。
伝統楽器の楽譜は、三味線、箏、三線などそれぞれ独特で、三味線でも義太夫節と長唄は違い、長唄でも数種類あります。五線譜で統一されているわけではなく、「面倒くさい音楽」になってしまっているのかもしれません。
高度経済成長を経て、生活様式が変わったことも遠因でしょう。家から畳の間が減り、たしなみとして三味線や箏を稽古する習慣も薄らいできました。また、楽器の購入を含め習得費用がかさむことなど、様々な理由が複合しています。
三味線、箏などの音色は江戸期以来、名人名工の美意識と技巧で研磨され、実に多彩です。02年度以来、邦楽器が中学校の音楽教育で必修化されましたが、その芽が花を咲かせるのには、まだ時間がかかりそうです。質量ともに持ち直す方策を重ねないと、得がたい音色が廃れ、能や歌舞伎といった伝統芸能にも響く事態すら予想されます。
稽古のシステム 崩れている 地歌・箏曲演奏家 藤本昭子さん
三味線の魅力は「いい音」です。左指で勘所の糸を押さえ、右手のバチで弾いて音を出しますが、サワリをつけて共鳴音を出したり、うなりや余韻を持続させたり、同じ音でも、少し指をずらして高低の響きを混ぜてニュアンスを変えたり、こまやかな技巧があります。音の発見があります。90回以上続けてきた「地歌ライブ」も、そんな音の世界を間近で味わっていただきたいという思いからです。
私は「ゆき」「残月」「八重衣」など地歌・箏曲の古典曲しか演奏せず、もはやレッドデータブック入りしそうです。楽器以上に、古典の技術や心の継承が絶望的だと思います。祖母や母に師事して昔ながらの積み稽古をしてきましたが、今やじっくり稽古するシステムが崩れています。滅びの段階に入り、あと10年、20年もつのかと暗い気持ちになります。若い人たちに共感してもらえるような「良きもの」を伝えるしかないのではないかと思います。
海外で大歓声 日本伝統の力 三味線奏者 上妻宏光さん
三味線は人生のパートナーです。弦楽器なのに打楽器的なパーカッシブな要素があり、情熱的かつもの悲しいような旋律が生まれます。元々歌に合わせて演奏するので、土地ごとのコブシなどが独特のグルーブを奏でます。
海外で民謡の独奏曲を演奏した時、地鳴りのような大歓声が上がり、日本の凝縮された伝統音楽の力を思い知らされました。日本文化の重みや美徳も分かり、誇りを持つことができるようになりました。
10代、20代には「新しい音楽」と捉える方が増えているのでは。様々なジャンルとの共演で、三味線の可能性を感じ、習う人が増えているようにも思います。古典にも興味を持ってもらえるようなアプローチは今後も続けたいです。夢は多くの国でこの楽器が演奏されること。違う国の方が演奏すると、自分たちが思ってもないような音楽を作り出すでしょうし、それに触発されて僕たちの表現も変わっていくのではないでしょうか。
負のループ 総力戦で断とう 近世邦楽研究者 野川美穂子さん
日本人は物事にこだわりをもって深めていくのが好きで、多少なりともオタク気質があるように思います。和楽器の中で特にこだわりが反映しているのが三味線です。駒の位置を1ミリ変えるだけで音が変わります。約450年の歴史で、音への工夫が重ねられてきました。三味線音楽を次代に残さなくてはならない理由は、ひとえに多様性に満ちて魅力的だからです。
講義などでは学生たちに「耳を澄まして、よく音を聞いて下さい。自分の感性に合うものが必ず見つかるはず」と呼びかけています。そして演奏する楽しさも伝えます。演奏してみると、音が歌、言葉と密接であることに気づきます。魅力の入り口がぐっと広がるのです。
ところが現状は、芳しくありません。プロ、習う人、楽器製造者の間に負のループが生じています。楽器の素材として動物の皮や象牙を使う点も、ワシントン条約や動物愛護の立場から問題にされますが、日本の風土、演奏上の適性からも一定の理由があるのです。国が国際的な理解を得られるように努めることも必要ですし、並行して代替素材を開発することも必要でしょう。
次代につなげるには総力戦しかありません。ホール・劇場、演奏家、教育・研究者、行政、マスコミなどが、それぞれ良い方法を見つけることに一生懸命になるべきなのです。同じ方向である必要は全くありません。「やってみよう」という人を増やすのです。長い歴史が育んできた深い層を持つ音の魅力を求める人は、数多くいると思います。
将来の可能性 流派の外に 「邦楽ジャーナル」代表・編集長 田中隆文さん
まず、文化政策の国の予算規模として、日本はお粗末の一言です。野村総合研究所がまとめた2015年度ベースのデータでみると、「国家予算に占める文化予算の割合」は日本が0.11%。対して、韓国は0.99%、フランスは0.87%です。ドイツ(0.44%)、中国(0.25%)、イギリス(0.15%)にも及びません。
韓国は1951年に国立国楽院を創設。国楽博物館では、演者だけでなく楽器職人に関する展示を見たことがあります。楽器あっての演奏者です。この自覚が日本にはありません。韓流ドラマ、アイドルグループの展開も、国家戦略と位置づける傾向が特徴的です。
邦楽の危機は続くでしょう。全邦連の推移グラフは、代表を務める邦楽専門誌上で公表しました。三味線と箏の愛好者とプロで20万~30万人ともいわれますが、これも減少傾向で、三味線、箏は2030年を待たずに数字上ではゼロになる減り方です。邦楽は楽譜が入手しにくい「不便な音楽」で、楽器の調整も楽器商に頼らなくてはなりません。家元制も含む習得費用の問題などもあり、どれも根深く複雑に絡み合っています。そうこうするうち、駒や胴掛の名職人が亡くなってしまいました。
邦楽器の将来を考えた時、可能性の一つは、従来の家元・免状制の枠外で楽器が演奏されることです。三味線などは、カルチャー教室やSNSで少し弾き方を学び、流派に属さず、自己流で進めていくのです。一昨年の全国邦楽コンクールでの、20代の優勝者はどこにも習いに行っていない人でした。象徴的です。
古典曲の方が望ましいですが、ポップス、ロックでも間口は広い方がいい。最近人気が高まっている「和楽器バンド」のようなアピール力です。邦楽器もようやく世界の楽器の仲間入りができた。まず楽器としての魅力が伝わり、演奏してみたいと思う人が増えれば、邦楽器の製造も増える。製造者が守られることで、結果的に古典も守れると思います。
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三味線や箏が危ないと聞き、私も何かしなくてはならないと思い始めました。なぜなら、これほどしびれる楽器は、世界にそうはないからです。特に三味線は義太夫節では重く温かく劇的で、地歌では闇と光の境界に漂うように深くあえかで、長唄では江戸前に陰陽を描き分けて、いずれも響きの豊かさで魅了します。
国の政策や予算措置、習い方や教え方にも課題はあります。でもこれらの解決には時間がかかり、その間に邦楽は干上がってしまうかもしれません。三味線を習っている人はぜひ友人たちの前で演奏してください。皆、音の大きさ、響きに驚くはずです。そして三味線や箏の魅力を語ってください。それが愛好者を一人でも増やすことにつながると思います。(米原範彦)