クイーン、必聴の10曲はこれ 異論歓迎、記者が選んだ——贯通日本资讯频道
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クイーン、必聴の10曲はこれ 異論歓迎、記者が選んだ

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の大ヒットで、ロックバンドQUEENの曲も改めて注目されています。今回、「わたしのQUEEN10曲」を、シングル曲を中心に選んでみました。でも、15枚のオリジナルアルバムから10曲に絞り込むのは、そもそも無理なんです。「それは違う」「こっちの曲の方がいい」など、さまざまなご意見があると思います。みなさんの「10曲」も教えてください。(朝日新聞・音楽担当記者 坂本真子)


KEEP YOURSELF ALIVE(邦題「炎のロックン・ロール」)


1973年に出した最初のアルバム「QUEEN」(邦題「戦慄の王女」)の1曲目でデビューシングル。作者はギターのブライアン・メイ。録音機材などのせいで音質はあまり良くないが、若い彼らの粗削りな情熱がほとばしる作品。フレディ・マーキュリーの歌声も若い。発表当時、ラジオなどからは見向きもされなかったという。80年代までライブで定番の曲だった。個人的には初めて聴いたとき、冒頭のギターリフが印象的で、「ここからQUEENの歴史が始まったんだ」とワクワクしたことを覚えている。ただ、70年代にありがちな安っぽい邦題は、いかがなものかと……。


SEVEN SEAS OF RHYE(邦題「輝ける7つの海」)


2枚目のアルバム「QUEENⅡ」(74年)のラストを飾る曲で、第1作「QUEEN」の最後にも、歌のない短いバージョンが収録されている。フレディの作品。英国の人気テレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に、デビッド・ボウイの代わりに急きょQUEENが出演することになり、この曲を披露。初めてヒットチャートにランクインしたシングルだ。当時は「シンセサイザーを使っていない」とわざわざアルバムに明記していた。ギターやコーラスを何度も録音して重ね、彼らの特徴である厚みのあるサウンドを作っていた。「QUEENⅡ」は、アナログレコードのA面を「サイド・ホワイト」、B面(6曲目以降)を「サイド・ブラック」と呼び、A面はブライアンの曲、B面はフレディの曲を中心に構成。異なる世界観を味わえる。


KILLER QUEEN


3枚目のアルバム「SHEER HEART ATTACK」(74年)の2曲目に収録された。グラムロックやハードロックにミュージカルの要素を加えたような曲調で、QUEENの音楽の多様性をこの1曲で表現。多重録音されたコーラスとギターが効果的に使われている。日本でQUEEN人気が爆発するきっかけになり、翌年、初来日公演が行われた。


BOHEMIAN RHAPSODY


4枚目のアルバム「A NIGHT AT THE OPERA」(邦題「オペラ座の夜」、75年)収録の、彼らの最高傑作ともいえる楽曲。英国では9週連続1位に君臨した。バラード、オペラ、ハードロックの三つの部分からなり、作者のフレディは「3曲を一つにした」と後に語っている。聖歌隊にいたことがあるというドラムスのロジャー・テイラーの高音シャウト(「スクリーム担当」とクレジットされたこともある)がこの曲でも生きている。シンセサイザーは使わず、ロジャーとフレディ、ブライアンの3人で録音したコーラスを200回近く重ねたという。QUEENではブライアンとロジャーがそれぞれ自作の曲を歌うこともあった。ボーカルが3人いて、4人全員が曲を作ることが、彼らの音楽性を幅広いものにした。


SOMEBODY TO LOVE(邦題「愛にすべてを」)


5枚目のアルバム「A DAY AT THE RACES」(邦題「華麗なるレース」、76年)に収録。フレディによる大作で、8分の6拍子のリズムが特徴。教会で歌われるゴスペルのようにコーラスが重なっていく流れは圧巻だ。


WE WILL ROCK YOU / WE ARE THE CHAMPIONS(邦題「伝説のチャンピオン」)


6枚目のアルバム「NEWS OF THE WORLD」(邦題「世界に捧ぐ」、77年)の1曲目と2曲目に収録され、両A面シングルとして発売された。冒頭の「ドンドンチャ」という有名なリズムは、メンバーたちがスタジオの床板を両足で何度も踏み鳴らし、手拍子をしたものを多重録音したという。当時、英国ではパンクがブームになり、QUEENは苦戦を強いられていたが、この2曲が英国で大ヒットし、米国でも認められるきっかけになった。2曲続けてライブで披露されることも多い。


DON’T STOP ME NOW


7枚目のアルバム「JAZZ」(78年)に収録された、フレディによるポップな作品。心地よい疾走感と、キャッチーで覚えやすいメロディーから、日本では何度もテレビCMに使われた。全編を通してフレディのピアノが前面に出ている。


ANOTHER ONE BITES THE DUST(邦題「地獄へ道づれ」)


8枚目のアルバム「THE GAME」(80年)の3曲目。QUEENにとって2度目の全米1位に輝いた曲。ベースのジョン・ディーコンが作った。何度も繰り返されるベースのフレーズが印象的で、当時流行していたディスコ音楽を取り入れた。この曲をシングルにするよう勧めたのはマイケル・ジャクソンだったという。ちなみに、パロディーで有名なアル・ヤンコビックは、「ANOTHER ONE RIDES THE BUS」と替えて歌った。


なお、初めての全米1位は、同じアルバムの5曲目に収録されたロカビリー調の「CRAZY LITTLE THING CALLED LOVE」(邦題「愛という名の欲望」)。フレディの作品だった。


このアルバムは「初めてシンセサイザーを使った」と明記され、QUEENにとって大きな転機になったと言われている。


RADIO GA GA


11枚目のアルバム「THE WORKS」(84年)に収録。10枚目の「HOT SPACE」(82年)でファンクやディスコなどのブラックミュージックに挑戦したが売れず、バンド内もうまくいかなくなって83年にいったん活動を休止した。再始動後は前作の反省もあり、ファンが求めるQUEEN像を意識したようだ。


「RADIO GA GA」は、ロジャーの作品では初めてのヒットシングルに。85年の「ライブ・エイド」で、大観衆が一体となって手拍子をする様子はよく知られている。26年制作のモノクロ無声映画「メトロポリス」の映像が、この曲のプロモーションビデオにも使われた。映画の再編集版が84年に公開された際にフレディが楽曲を提供するなどして関わったことから実現した。


実は、記者が初めてQUEENの曲に触れたのはこの曲だった(年齢がばれますが)。中学生の頃、FM東京「ポップスベスト10」やFEN「アメリカントップ40」で聴いて、メロディーと手拍子が強く印象に残った。その後、貸しレコード屋でQUEENのアルバムを片っ端から借りて聴いたことを覚えている。


なお、レディー・ガガの芸名はこの曲が由来だそうです。


WHO WANTS TO LIVE FOREVER


12枚目のアルバム「A KIND OF MAGIC」(86年)に収録された、ブライアンによるバラード。QUEENは以前にも映画「フラッシュ・ゴードン」の音楽を担当してアルバムを1枚作ったが、今作は、映画「ハイランダー 悪魔の戦士」向けにQUEENが作った曲をアレンジし直し、改めて録音して制作された。「WHO…」は、これまでのような多重録音ではなく、初めてフルオーケストラと共演したという。朗々と歌い上げる、魂のこもったフレディの歌に圧倒される。映画で使うために書かれた歌詞だが、いま聴くと、フレディの心情を代弁しているように思えてしまう。


※ツイッターのサービスが混み合っている時などツイートが表示されない場合もあります。


あなたの好きな曲も、ツイッターで「#わたしのQUEEN10曲」をつけて、ぜひつぶやいてください。



ここからは番外編。シングル曲にこだわらず、私の独断と偏見で、ぜひ聞いて欲しい10曲を紹介しています。


THE LOSER IN THE END


2枚目のアルバム「QUEENⅡ」(74年)の5曲目。力強いハードロックで、作者はロジャー。彼の歌がかっこいい。ロジャーというと、コーラスで聞かせる高音が目立つが、こういう渋いロックボーカルもフレディとは違う魅力がある。


IN THE LAP OF THE GODS(邦題「神々の業」)


3枚目のアルバム「SHEER HEART ATTACK」(74年)収録。アナログレコードのB面1曲目と最後を飾り、どちらも作者はフレディだが、アレンジが異なる。前者は、いきなりロジャーの高音シャウトで始まる、厳かな雰囲気の曲。一方、題名の末尾に「…REVISITED」と付く後者は、ピアノの弾き語りがメインで8分の6拍子の穏やかな曲。ライブでは、「ウォーウォーラララーウォー」というコーラス部分を観客が合唱した。


また、同じアルバムに収録された「STONE COLD CRAZY」は、ヘビーメタルのような激しいサウンドが特徴で、後にメタリカがカバーして話題になった。


’39


4枚目のアルバム「A NIGHT AT THE OPERA」(邦題「オペラ座の夜」、75年)の5曲目。作者のブライアンが歌っている。アコースティックギターの音色が心地よく、素朴な歌声と相まって、古き良きフォークソングやカントリーのように聞こえるが、歌詞は、宇宙旅行に1年出かけて戻ったら、地球では長い年月がたっていて……というSF小説のような内容だ。大学院で宇宙工学を学んだブライアンならではの作品。このような曲と「BOHEMIAN RHAPSODY」が同じアルバムに入っていることが、QUEENの音楽性の幅広さを表している。


TEO TORRIATTE(LET US CLING TOGETHER、邦題「手をとりあって」)


5枚目のアルバム「A DAY AT THE RACES」(邦題「華麗なるレース」、76年)の最後を飾る曲。75年の初来日公演で、それまで彼らが経験したことがないほど日本のファンから熱狂的な歓迎を受けたことへの感謝の思いを込めて、ブライアンが作曲した。フレディはサビの一部を日本語で歌っている。


I WANT TO BREAK FREE〈邦題「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」〉


11枚目のアルバム「THE WORKS」(84年)に収録。ジョンの作品で、シングルカットされてヒットしたが、各方面で物議を醸した。メンバー全員が女装したプロモーションビデオ(4人の個性が出ていて面白い)は、英国ではジョークとして受け入れられた。けれども、米国などで嫌われた。南米の国々では反体制派のテーマ曲として使われたこともあったが、アルゼンチンでのライブでフレディが女装して歌い、観客の怒りを買ったという。また、同じ頃に南アフリカのサンシティでライブを行ったことで、アパルトヘイトを支持するのか、と批判を受けるなど、バンドにとっては散々な時期だった。このような逆境をはね返し、QUEENをよみがえらせたのが、85年7月の「ライブ・エイド」だったのだ。


ONE VISION(邦題「ONE VISION ―ひとつだけの世界―」)


12枚目のアルバム「A KIND OF MAGIC」(86年)の1曲目。シングルとして85年に発売された。作者のクレジットが初めて「QUEEN」になった曲で、キング牧師の演説「I Have a Dream」からロジャーがヒントを得たという。映画「アイアン・イーグル」の挿入歌にも使われた。最後の歌詞を注意して聴くと、フレディが「フライドチキン」と歌っていることに気づく(歌詞カードには「ONE VISION」と書かれているのだが)。


I WANT IT ALL


13枚目のアルバム「THE MIRACLE」(89年)に収録された。ハードなギターサウンドと厚いコーラス、途中で変わる曲調などが初期のQUEENを思い起こさせる。このアルバムから作者のクレジットが「QUEEN」に統一された。また、アルバム発売後のインタビューでフレディが、QUEENとしてのコンサートはもうやらない、と宣言。彼の病気が原因だったと推察される(QUEENとしてのライブツアーは86年が最後になった)。当時、フレディは残された時間を惜しむように多くの歌を録音したという。


THESE ARE THE DAYS OF OUR LIVES(邦題「輝ける日々」)


14枚目のアルバム「INNUENDO」(91年)に収録。この曲のプロモーションビデオは同年5月に撮影されたそうだが、若き日々の思い出を懐かしむ内容の歌詞を、病気でやせ細ったフレディが、最後の気力を振り絞るように歌う姿が痛々しい。11月、フレディは45歳で死去した。


MOTHER LOVE


15枚目のアルバム「MADE IN HEAVEN」(95年)に収録。フレディが生前に録音した歌声やソロ作品のボーカル部分などを元に、ブライアン、ジョン、ロジャーの3人が作り上げたアルバムで、フレディ自身は亡くなる半年ほど前まで録音に参加していた。その最後の歌声とされるのがこの曲で、ブライアンとフレディが一緒に書いた最後の曲でもある。体調がすぐれなかったフレディは全てを歌いきることができず、一部をブライアンが歌った。


同じアルバムの「I WAS BORN TO LOVE YOU」(邦題「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」)は、元々フレディがソロで85年に発表した曲。当時のボーカル以外の部分をブライアンら3人が演奏し直してリミックスしたものを、このアルバムに収録した。日本ではテレビドラマ(木村拓哉主演「プライド」、04年)の主題歌に起用され、リバイバルヒットした。


(無題)


15枚目のアルバム「MADE IN HEAVEN」(95年)には、名前のない12曲目と13曲目がシークレットトラックとして収録されている。12曲目は一瞬で終わり、13曲目は22分超。4人によるQUEENの最終章であり、フレディに捧げる鎮魂の音楽でもある。(坂本真子)


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