小説家・平野啓一郎(寄稿)
1975年生まれの私にとって、ドナルド・キーンという名前は、戦後文学の黄金時代と密接に結びついた半ば伝説的な、憧れの対象だった。
キーンさんの自叙伝を読んでいると、若い頃には、フランス文学の研究者になっていたかもしれない、という時期もあるが、もしそうなっていたなら、日本の戦後文学の国際的な評価はどうなっていただろうか。
他方で、近代以降、日本人はゴッホやモネに浮世絵の素晴らしさを再教育され、フェノロサに日本美術の価値を見出(みいだ)されたように、やはり、キーンさんに教えられた日本文学の素晴らしさも多かった。
私が初めてキーンさんにお目にかかったのは、2006年に新宿文化センターで公開対談を行った時だった。私は主催者から、開演二時間前に会場入りしてくれと言われ、早すぎじゃないかと言ったのだが、キーンさんが早く来られるので、とのことだった。
それならと、言われた通りの時…