戦前、治安維持法に違反したとして拷問を受けながらも、言論の自由を求めたジャーナリスト、菊池邦作(故人)。北海道旭川市在住の孫、平山沙織さん(48)が釧路市で邦作について講演し、「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法の制定などに突き進む政治情勢を踏まえ「昔のことじゃない」と訴えた。
邦作は1899年、群馬県で生まれた。東京高等蚕糸学校に入学後、社会運動に参加。国体(天皇中心の国家体制)の変革や、私有財産制度を否認する運動を取り締まる治安維持法が1928年に改正され、最高刑が死刑に引き上げられた。邦作はこのころ「治安維持法を撤廃せよ」と論文を発表した。
「蟹工船」を書いた小説家の小林多喜二が31年9月に講演で群馬県を訪れたとき、邦作は「無届け集会」の疑いで、主催者の一人として多喜二らとともに検挙された。署に詰めかけた群衆が多喜二を奪還した際、署の内外で革命歌の大合唱になったという。邦作は後に「感激に身が震えるのを覚えた」と記している。
32年9月、邦作は共産党員であると疑われ、県内の一斉検挙で特高警察に改めて逮捕される。
「私は若いころ、『不屈に戦った人』を英雄視する運動に疑問を持っていた」と平山さん。幼いころ、邦作のひざのなかで、「戦争に反対したら、火鉢の上に座らされる拷問を受けた」とだけ聞かされていた。約10年前、祖父の随筆を読み、むごい証言に衝撃を受けたという。
随筆によると、邦作は取調室で「眼鏡をはずせ、服を脱げ」と命じられた。角張ったまきが2本渡してある火鉢の上に正座させられ、頭の上にあげた両手に手錠が掛けられた。こう宣言されたという。
「俺たちが今からやることはなあ、国家の命令でやるんだど。天皇陛下に背く貴様らは殺したっていいことになっているんだ」
邦作は、ひざの上から靴をはいた足を押しつけられた。すねの激痛にひざを立てようとすると、竹刀で背中をたたきつけられた。転げ落ちるたびに火鉢に座らされた。4人がかりで仰向けに抑えつけられ、鼻や口から水も注がれた。何度も気を失ったという。約3カ月後に釈放された。
邦作は治安維持法違反などの疑いで10回近く逮捕された。戦後、同法廃止を求めるなど民主化運動に取り組み、「もっと大きく団結を」と訴え、86年に亡くなった。旭川市の法律事務所に勤める平山さんは邦作の訴えを「いまの私たちへの言葉と受け止めている」と言った。
特定秘密保護法や改正組織犯罪処罰法を成立させた安倍晋三政権。平山さんは「善良なる国民には関係ない」という政府の説明を真に受けて治安維持法の成立を許した戦前と、いまの「空気」を重ねる。「現代には関係ないと思っていたが、平和憲法が改憲されるかもしれず、昔のことではありません」と訴えた。
平山さんは17日、「小林多喜二を語るつどい・くしろ」(実行委主催)で「命をかけて戦争に反対した人」という題で講演した。釧路市生涯学習センターに約90人が集まった。(高田誠)
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〈治安維持法〉 1925年、国体の変革や私有財産制度の否認を目的とした結社を組織したり、参加したりすることを取り締まるために定められた。後の改正で、最高刑に死刑が導入されたほか、結社の仲間でなくても目的遂行のための行為をしたとみなされれば処罰された。様々な運動が対象となり、言論や思想の自由が奪われた。戦後の45年10月に廃止された。