東日本大震災の時、4階まで津波に襲われた気仙沼向洋高校(宮城県気仙沼市)の旧校舎が10日から、震災遺構として公開される。3階の窓を突き破って入った車、骨組みがむき出しになった天井から垂れるコード――。8年前のあの日を、校舎に残された爪痕と生徒らの記憶からたどった。
1階の保健室は備品の大半が流され、代わりにタイヤが転がっている。4階の外壁の隅がえぐれているのは、津波で流されてきた冷凍工場がぶつかったからだ。屋上からは天井を失った体育館が見え、校舎の間には車が折り重なる。
旧校舎は海岸から約500メートル、標高1メートルほどの低地にあった。地震発生時、校内には生徒約170人、教職員約50人がいた。
2年だった芳賀結希さん(25)はテニス部の練習中だった。「中央に集まれ!」と部長が叫び、コートにみんなしゃがみ込んだ。プールの水が大きく波立ち、電線もうねっていた。ジャージーにテニスシューズのまま、他部の生徒と高台の中学校へ走った。
10日前に卒業したばかりだった3年の高橋遼さん(26)は、市街地のスーパーから、母校に近い自宅へ向かって走っていた。半身が不自由な父らがいるはずだったからだ。雪が降り始めた。「神様は残酷だ」との思いに駆られた。
生徒が教職員に連れられて避難した後、南校舎1階の事務室に校長ら教職員約20人が集まった。携帯電話のテレビが30分後に津波が到達すると告げた。教諭の佐々木康竹さん(34)が書類を3階に運び上げると、津波の第1波が見えた。サーッと流れる感じで真っ黒。「避難した生徒たちは大丈夫だろうか」と考え、次の波が見えた瞬間、恐怖に襲われた。波が木々をなぎ倒して次々押し寄せていた。屋上へ逃れ、建設作業員らも合流し、50人ほどに膨れ上がった。
津波が治まり、渡り廊下の上を…