4月1日の新元号発表が迫ってきた。元号は中国から日本に伝わり、天皇が大化から平成まで1300年以上にわたり、代替わりや災害などを機に改めてきた。元号とは何なのか、その歴史や意味を振り返る。
元号懇談会に山中教授ら起用へ 政府、林真理子氏も調整
国民国家の一体感醸成に寄与
国号は日本。君主号は天皇。自前の法律として律令を定める。元号もこうした「国のかたち」を整えるための制度の一つだ。保立道久・東京大名誉教授(日本中世史)は「暦とあわせて国家が役人の時間を管理し、人々の時間を支配する中国のやり方を導入した」と説明する。
保立氏によると、奈良時代の改元は天皇の代替わりに伴う代始(だいはじめ)改元や善政を賛美する祥瑞(しょうずい)改元。これに対し、923年に菅原道真の怨霊で皇太子が死去したとして初の災異(さいい)改元があった。8~10世紀には地震や噴火などの大災害が続き、怨霊が原因とされた。「以降幕末までの改元約200回のうち100回ほどが災異改元で、その相当数は地震に関連がある。地震火山列島らしい改元かもしれない」
近代化を目指す明治政府は、太陽暦(グレゴリオ暦)とともに「一世一元の制」を選んだ。天皇は終身在位、元号は一代に一つとなり、特に明治や昭和は国民国家の一体感を醸成した。小島毅・東京大教授(中国思想史)は「異民族王朝だった元への対抗意識や朱子学の影響から中国の明王朝が採用した一世一元を江戸時代の儒学者が日本でも取り入れるべきだと主張し、明治政府の方針に影響を与えた」とみる。
元号は東アジアの漢字文化圏に…