今や生まれつきと違う髪の色に染めている若者は珍しくないが、「茶髪=不良」と思われていた時代があった。平成の間に、若者の髪色の流行はどう変遷していったのか。
1905年創業のヘアカラー大手の「ホーユー」(名古屋市東区)。元々は「ビゲン」シリーズなど白髪染めを主力商品としてきたが、「ビューティラボ」など地毛の色を変える商品も数多く展開している。
「平成初頭は茶髪にするのは不良というイメージが強かった」と総務部の小林直樹さんは話す。「不良を誘発しないように」と染髪剤の外装は地味なデザインだったという。
転機は95年ごろに登場した「アムラー」たちだ。ミニスカート、厚底ブーツに明るい髪色。歌手の安室奈美恵さんにあこがれた女性たちが広めた。
96年発売の「ビューティーン」体験シリーズでは、若者向けにポップな色使いのデザインに改めようとしたが、当時の幹部は難色を示した。営業担当の経験がある小林さんは、これまでのパッケージでは若者に受けないことを知っていた。
「だから、(組織の)上は無視して変えてしまったんです」
シリーズは売れに売れた。店に並べると1日で売り切れ、若者が店をはしごして商品を探していたのを小林さんは覚えている。
2000年のシリーズのCMには人気の男性歌手グループDA PUMPを起用。男性が茶髪にするのも珍しくなくなった。
平成も中盤を過ぎると、落ち着いた髪色の「暗髪(くらがみ)」がはやりだす。テレビではアジア系女性の黒髪の美しさを強調したCMも話題を呼んだ。
「最近は無難な範囲の茶色か、個性的な色の二極化が進んでいる」と同社商品企画室の永利麻衣さん。最近はSNSの普及などで髪色の流行の変化も早く、「アッシュ」など茶系でもひと味違う色が人気だという。(日高奈緒)