白衣姿で黒板やホワイトボードを使い、お色気ネタをまじえた医事漫談で人気を呼んだ漫談家のケーシー高峰(たかみね、本名門脇貞夫=かどわき・さだお)さんが8日、肺気腫のため福島県いわき市の病院で死去した。85歳だった。葬儀は近親者のみで営まれる。
ケーシーさんは山形県出身。母方の家系が、江戸時代から続く医者の家だった。家業を継ぐため日本大学医学部に入学したが、芸能の世界に憧れ、芸術学部に転部。在学中からジャズクラブなどで司会をつとめ、卒業後は漫才師「リーガル天才・秀才」の門をたたいた。大学の先輩と組んだ漫才コンビ「大空はるか・かなた」として活動した。
事務所によると、解散後の1968年、「ケーシー高峰」に改名。医者が主人公の米ドラマ「ベン・ケーシー」と、少年時代に憧れた俳優・高峰秀子さんから取った。白衣に黒縁メガネ、首からかけた聴診器。お色気ネタをまじえていく医事漫談を生み出し、「グラッチェ」「セニョール」「セニョリータ」などラテン系のあいさつも連発した。正月の演芸番組などには欠かせない存在になり、映画やテレビドラマでも活躍した。
30年ほど前に、いわき市に移り住み、家族と暮らしていた。2005年には舌がんと診断され、舌の一部を切除する手術を受けたが、自らの病気さえネタにして笑いをとった。肺も患っていたため、晩年は鼻に酸素吸入器をつけ、椅子に座りながらの舞台だった。事務所によると、昨年9月以降は仕事を控えて自宅で療養していたが、3月初めに入院した。(編集委員・小泉信一)