アサヒビールの代名詞ともいえる「スーパードライ」。その新商品が9日発売されました。若者のビール離れが続き、スーパードライを買う人も徐々に高齢化しています。若者にアピールしてテコ入れを図る戦略について、アサヒビールの新社長に就いたばかりの塩沢賢一社長(60)に聞きました。
◇
アサヒビールはアサヒグループホールディングス傘下の事業会社。塩沢氏は3月19日付でアサヒ飲料の副社長から昇格した。
9日発売したのは、そのまま飲むスタイルの瓶ビール「アサヒスーパードライ ザ・クール」(334ml瓶入り)。スーパードライのブランドとして初の業務用に特化した商品だ。若年層がビリヤード場やスポーツバーで飲むことを想定。飲みやすいよう苦みや渋みを抑えたという。塩沢社長は「ビールの入り口として飲んでもらい家庭での缶の飲用につなげる」とした。年末までの販売目標は20万ケース(1ケースは大瓶20本換算)だ。
スーパードライブランドは2017年に出荷量が1億ケースを割り、18年も9085万ケースにとどまった。19年10月からはビールと第3のビールの酒税が段階的に統一され、ビールに分類される「スーパードライ」は減税になる。「存在感があるブランドだけが生き延びる。シェアが高いスーパードライには追い風になる」とみる。
塩沢社長が入社した1981年当時はスーパードライは発売されておらず、会社も「夕日ビール」とも揶揄(やゆ)され業績は低迷していた。営業の現場で酒販店にビールの売り込みに行っても扱ってもらえなかったが、スーパードライが87年に発売され、状況は一変。取り扱いを要望する酒販店に断るのが仕事になった。「ビールの需要が減るので、雨が降らないかなと願っていた」と振り返る。
89年に1億ケースを記録し、97年には業界トップのブランドになった。しかし市場全体の縮小もあり、かつての勢いはない。アサヒビールも18年12月期は2年連続の減収だった。
スーパードライは発売当時は20~40代のファンが多かったが、発売から30年がたち、主な顧客も年配になっている。「次の顧客を見つけなければ」と、若年層へのテコ入れで立て直しを図る。(長橋亮文)