「カメラマンを締め出せ」。鉄道ファンと地元住民の間では、撮影スポットを巡ってトラブルになることが少なくない。今年運行40年になるSLやまぐち号の沿線も、以前は衝突が絶えなかった。それが今では「しばらく見んかったけど、どうしてたん」。住民と「撮り鉄」の間に自然と会話が生まれる。全国有数の撮影スポットで起きた「奇跡」。そこには、ファンが自らに課した「制約」と住民の歩み寄りがあった。
「乗りたくなかった」SLに20年 ある運転士の人生
たん捨てる壺まで…怪しまれても調べ再現、SLやまぐち
SLやまぐち号が今年の運行を開始した3月23日、JR山口線沿線にSLファン約50人がつめかけた。午後4時ごろ、島根県津和野町方面から汽笛とともにSLやまぐち号が現れると、次々とシャッターを切る音が響いた。
JR津和野駅から南西に6キロほどの山あいにある津和野町の白井地区。見晴らしも良く、線路が上り坂になっていることから黒煙をあげて力走するSLをカメラに収められるため、JR山口線の中でも有数の撮影スポットとして知られている。
近くには、地元住民が開いたSL交流広場もあり、SLのキーホルダーや燃料の石炭を模した真っ黒なアメが売られている。「しばらく見んかったけど、どうしてたん」。SLを待つ間にはカメラマンと住民の何げない会話が聞こえてくる。
白井地区も、過去には鉄道ファンとの間にあつれきが生まれたときがあった。
一時は井札が取り締まり
「カメラマンを締め出せ」。二十数年前、白井地区の住民からは怒りの声が出ていた。当時、夏場に山中でぼや騒ぎが起きた。周辺には人が立ち入る場所はなく、狩猟や山菜採りのシーズンでもなかった。自治会長だった板蔭初男さん(67)は「SLの撮影スポットの付近だったし、カメラマンの火の不始末ではないかと住民の間で不信感が募った」と振り返る。
当時、一部の鉄道ファンによるマナー違反は度々起きていた。あるとき、板蔭さんが所有する山を見上げると、中腹で何かがピカッと光った。後日確認すると、辺りにはたばこの吸い殻が散乱し、周囲の木はなたやチェーンソーで切られていた。「黒く光ったのはカメラで、撮影に邪魔な木を切ったんだと分かった」。沿線の道路では無断駐車も後を絶たず、一時は警察が取り締まることもあった。
この状況に危機感を抱いた当時のSLファンの一部が、住民と話し合いの場をもつようになった。当時を知る鉄道ファン歴50年以上の村上義弘さん(61)は「このままではいけないと、マナーを守ろうと自ら制約をつくるようになった」。その結果、住民が入山許可証を発行し、山中で撮影する人を把握。許可書を持っていない場合にはカメラマン同士で注意をし、立ち入り禁止の看板を設置するようになった。
共同で環境を整備
こうした歩み寄りに対し、地元住民も次第に心を開くようになった。「多くのSLファンは礼儀正しい。どうせならもてなそう」。2010年にSL応援団を結成した。SL交流広場のほか、5月のゴールデンウィークなど年に数回、地元で捕れたイノシシを使った料理を振る舞うSL茶屋を開き、交流を図っている。
現在は、入山許可証の発行料がSL応援団の活動費に充てられ、カメラマンと住民が沿線の草刈りや転落防止のロープを山道に張るなど撮影環境を整えている。応援団長の村田隆義さん(81)は「SLファンが来なくなるのは地域にとってもマイナス。SLを通じて一緒に盛り上がる仲間」。地区では高齢化が進むが、「集まって活動するのは生活にも張りが出る」と笑う。
村上さんも「地元と鉄道ファンがこんになにも協力し合う所は全国でもほかにない」と胸を張る。当初壊れかけた信頼関係は、お互いの歩み寄りによって回復した。「撮り鉄が列車をとめたとか、悪いニュースばかり注目され、これまで鉄道ファンはマナーが悪いと思われてきた」と村上さん。「鉄道ファンも地元と協力して、SLや山口線をずっと応援できるようにしていかなくてはいけない」と話した。(金子和史)