憲法が国家や権力を縛る「立憲主義」に反しているのでは――。昨今、そんな問題提起をよく耳にする。だが今から130年ほど前の明治時代にも「立憲主義違反」問題が起きていた。端を発したのは、中学校と軍隊の対立という異常事態だった。
明治24(1891)年3月24日昼、今の福岡市中央区にあった尋常中学修猷(しゅうゆう)館(現・修猷館高校)の校庭で、生徒が石投げをして遊んでいた。石は塀の瓦にあたり、破片が、外を行進中の歩兵第24連隊の兵士に当たった。連隊長は部下に解決方法をゆだねたが、翌25日に出征服姿の中隊が押しかけ、生徒の聴取に兵士の立ち会いを要求。正門を閉鎖して出入りを禁じたり、武装兵士が校内を巡回したりした。結局、投石した生徒はわからないまま、軍寄りの立場だった県は27日、尾崎臻(いたる)館長を減給にするなど中学関係者を処分した。
この事件に注目したのが、修猷館高校などの教諭を歴任した水崎雄文(たけふみ)さん(82)=福岡市。昨年、『修猷館投石事件―明治二十四年、中学校と軍隊の衝突―』(花乱(からん)社)にまとめた。
尋常中学修猷館は福岡藩の藩校…