原爆投下前、広島平和記念公園(広島市中区)の一帯には、繁華街が広がっていた。その「被爆遺構」の保存・展示をめざす広島市は24日、公園内で本格的な掘削作業を始めた。
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掘削するのは、広島平和記念資料館東館の北側で、被爆アオギリや峠三吉詩碑のそばの約25平方メートル。かつて「天神町筋」と呼ばれた通り周辺で、住居や商店などが軒を連ねる広島屈指の繁華街だった。24日午前、市職員らが立ち会うなか、業者が重機で地表を掘削。27日以降は手掘りで作業を進め、7月下旬には調査を終える見通しという。
市は昨年12月、試掘を付近で実施。深さ60センチほどのところから、側溝やアスファルト、建物の構造物とみられる石、焼けた木材などが見つかった。被爆者や専門家らでつくる有識者懇談会は「かつて人々の営みがあったことを想起させる」と評価し、この地点で面積を広げて調査することが決まっていた。(宮崎園子)