日曜に想う
憲法改正を問う国民投票の際のCM規制をどうするか。その議論に違和感をおぼえる。
憲法という国の骨格についてなにか決める。それなら、国民への宣伝の仕方より先に、どうやって国民的な熟議を実現し実りあるものにするか、を考えた方がいいのではないか。
CM規制には議論が必要だと思う。日本民間放送連盟(民放連)が賛否のCM量を均衡させるための自主規制はしないと決めたことをどう考えるか、賛否のCM量を測ることができるかどうか――。
ただ「憲法はビールや化粧品を売るのとはワケが違う」。そう喝破したのは評論家の故・天野祐吉さんだ。国民投票法案が議論されていた2006年、小紙コラム「CM天気図」で、憲法CMを否定はしないけれど「テレビCMは、使い方によっては強力なマインドコントロールの手段になる」と警告していた。
であればもっと大事なのは、人々が意見を交換し、自分の考えを深める時間と機会の確保だということになる。簡単ではない。たとえば党派的な主張が前面に出る集会では人々が自分の意見を紡ぐ場にはなりにくい。
しかし今のところ、国民的な熟議を実現するための案は政治家からはあまり聞こえてこない。妙案がないから、CMが勝敗のカギを握るという考え方に傾くのかもしれない。でも、それでは政治をマーケティングに変えてしまう。
フランスの「黄色いベスト」
フランスで燃料費の値上げに反対した市民が始めた黄色いベスト運動は、政治へのさまざまな不満を吸収して激しい異議申し立てに発展した。
出口なしの状況を打開しようと…