「可愛い豆漁師の群(むれ)」。そんなタイトルがつけられた約80年前のモノクロ映像が残っている。はちまきを締め、漁に励む少年たち。撮影された愛媛県愛南町を訪れると、映像に映った一人の少年の「その後」にたどりついた。
80年前の日本の姿は? 「1940アーカイブス」
引き上げた網にたくさんの魚
映像は、朝日新聞が戦前の1938~43年に撮影・制作した子ども向けニュースの一つ。上半身裸の子どもたちが裸足のまま船に乗り込み、櫓(ろ)をこいで沖へ。慣れた手つきで網を引き揚げると、そこにはたくさんの魚。映像には、魚を手にニコニコと笑う少年たちの姿が映し出されている。
撮影された「愛媛県内海村」、現在の愛南町中浦地区に向かった。リアス式海岸の入り組んだ湾の内側にあり、三方を山に囲まれ、海沿いに住宅や水産加工の作業場が並んでいる。
現在は700人ほどが住む地区の中に、映像に映る少年たちが学んだ「中浦小学校」がある。小学校は昨年3月に閉校。100年以上の歴史に幕を下ろした。
校舎のすぐ近くに海
海岸と校舎の間には運動場が広がっているが、大正時代に撮影された写真では、校舎のすぐ近くに海が迫る。「埋め立てられたんです。昔は小さな島もあったのですが」。中浦小学校出身で、その後校長も務めた山下和雄さん(81)=愛南町御荘=が教えてくれた。
映像の少年たちは何をしているのか。山下さんに見てもらうと、「イワシ巻き網漁業の網を海から揚げていますね」。
中浦地区では、魚群の周囲に網を張って魚をとる「巻き網漁業」が盛んだった。昭和初期には蓄電池を用いる防水の集魚灯が開発され、漁獲量も増大したという。山下さんが子どものころは漁業の授業はなかったが、「中浦は巻き網が盛んな場所ですから、大人が子どもたちに漁の体験をさせようとしたのではないでしょうか」。
映像のほほえむ子どもは…
思わぬことを口にする人にも出会った。「ここに映っているのは私の伯父です」。映像を見てそう語ったのは、中浦出身の愛南町職員、浅海宏貴さん(57)だ。映像を見ながら浅海さんが指し示したのは、大きな魚を持った子どもの隣でほほえむ少年。伯父の徳永文雄さん(故人)だという。
小学校閉校記念誌によると、文雄さんは1937(昭和12)年度の卒業。映像が撮られたのは、卒業後の高等科時代の38~39年ごろと見られ、愛南町教育委員会生涯学習課の織田浩史さん(51)は「今のところ、愛南町では最も古い動画でしょう」という。
校歌「出船入船勇ましい」
町で“最古”の映像に映っていた文雄少年。浅海さんによると、がっしりした体型で相撲が強かったそうだ。地区で最も大きい漁業の会社に入り、漁を指揮する「漁労長」になったという。
「出船入船勇ましい/父祖の歴史を受け継いで/強く体を鍛え合い/生気みなぎる中浦小/みんな雄々しく育とうよ」
漁師町の気風がにじむ小学校歌の歌詞のとおり、「豆漁師」と呼ばれた少年は、本物の漁師へと成長した。「おおらかで豪快。酒も好きだったし、豪傑だった」。浅海さんは笑って言った。(寺田実穂子)
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