多くの犠牲者を出した西日本豪雨から、7月で1年が経ちました。ちょうど同月4日は参院選の公示日。1年前の豪雨で川の堤防が決壊して広範囲が浸水し、51人が亡くなった岡山県倉敷市真備町地区を訪れ、「復興と選挙」をテーマに聞いた被災者の思いは、切実なものでした。
初めて真備町に足を運んだのは1日。まず驚いたのは、こちらから声をかける前に住民に声をかけられたことでした。
「こんにちは!」
最初は、自転車に乗った中学生。次は、ベビーカーを押した女性でした。
すれ違いざまの元気なあいさつに気おされ、取材するどころか、「あ、こんにちは……」と小さな声で返すのが精いっぱい。「記者として恥ずかしいな」という思いでした。
真備町のメインストリート県道278号を西へ、西へと歩いていると、「り災者の会」と書かれた大きな看板を見つけました。
建物のガラス戸を開け、今度は大きな声で「こんにちは。朝日新聞記者の高橋と申します。表の看板を見まして……」。そんな私のあいさつを遮るかたちで、事務所の奥から大きな声が響きました。
「よー、来なすった!」
声の主は「り災者の会」の会長、吉田勤さん(73)でした。自身が代表を務める不動産会社の1階を開放し、役所への書類申請など被災者の手助けをしながら、被災者の思いをまとめ、役所や議員に働きかけています。
活動を始めたきっかけは、自身の会社が管理するアパートが堤防の決壊で被災し、住人に死者が出たことでした。
吉田さんは、大阪からやってきた記者に、自分で撮りためた写真や災害直後に撮影された動画を見せ、真備の置かれた状況を教えてくれました。
「選挙の候補者や政治家が思うとる『復興』と、真備町の住民が望んでいる『本当の復興』はズレてるんです。本当の復興は、立派な堤防を造ることではなく、住民が戻ってこられる町をつくることです」
その後、被害が大きかった末政川の周辺を歩き、10人の方に取材しました。そのうち9人が、取材や写真撮影に応じてくれました。真備町の人たちの温かさと、「1年経っても残る厳しい現状を全国に伝えてほしい」という強い思いを感じました。
そんな中でただ一人、実名を掲載することを拒み、「話だけなら」と語ってくれた70代の男性の言葉が、胸に突き刺さりました。
「この年齢になって、すべてを失った。がんばってやってきたけど、胸にこみ上げてきて何にも言えん。1年が経ってもこの状況じゃ、もう何にも変わらん。日本の国にとったら真備町のことなんて微々たることじゃろうが、わしら地元にとっては生活がかかっとる」
立ち去ろうとする男性に最後に一つ、いま望むことは何ですか、と尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「何もない。ありすぎて、言えん」
取材をした参院選の公示日に、主要政党の候補者が真備町に入ることはありませんでした。後ほど電話で確認したところ、「後日入る」とのことでしたが、ある候補者の関係者はこう語りました。「現状、真備町では人を集めるのも難しい状況。『こんなときに選挙している場合か』と被災者感情を逆なですることにもなりかねないという意見もあるので、慎重にやりたい」
私のような初対面の記者にも、あふれる思いを語ってくれる真備町の住民の言葉を、候補者たちは今こそ聞きにいくべきではないか。そんな風に感じました。(高橋大作)
参院選が始まりました。朝日新聞は記者がレンタカーのハンドルを握って西へ西へと進みながら、西日本各地の課題を探る企画「旅する記者」を展開中です。メイン担当の記者が現地入りする前にリサーチ取材に取り組んだ記者たちが、「もう一つの旅」を報告。今回は、動画のナレーションを担った大阪社会部の高橋大作記者が担当しました。