宮城県石巻市の万石浦のほとり。潮の香りのする夕焼けのグラウンドに、ノックの音が響いた。
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「しっかり投げろよ」「よく取ったな」
宮城水産唯一の3年生、高橋諒也主将がバットを握る。8人の男子部員のうち6人が1年生だ。さらに他部からの助っ人選手も加わり、この夏、3年ぶりに単独チームで出場できることになった。「最後の夏は大勢の部員で単独チームを組みたい」という高橋君の願いが実を結んだ。
小学3年生だった8年前、高校近くの自宅が津波に襲われ、一家で小学校に避難した。隣の避難者に気を遣う日々を過ごすうち、支援物資に入っていたボールで先輩と遊んだのが、野球にはまった原点だった。
地元の宮城水産に進み、野球部に入った。部員が少なく、夏は他校と連合チームを組んだ。グラウンドに立つ仮設住宅の間でキャッチボールをした。その環境でも、好きな野球を地元の仲間たちとできることがうれしかった。
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昨年夏、3人の3年生が引退すると、1学年下の深堀信君と2人だけになった。練習は監督を入れても3人だけ。秋の大会には参加できず、「チームで喜びを分かち合う感覚」を味わうこともできなかった。
最後の夏に向けて、勧誘作戦が始まった。阿部克彦監督と母校や近くの中学校の野球部を訪れ、「宮水で野球をやろう」と誘った。中学の野球部の後輩にも、思いつく限りラインで勧誘した。反応がないこともあったが、「やりたいです」とのメッセージが届くと、ほおが緩んだ。
そんな中、所属する機関工学類型の乗船実習でグラウンドを離れることになった。今年1月から2カ月間、ハワイへの長期実習だ。わかっていたこととはいえ、唯一の3年生で、しかも主将として「焦りがあった」。船のエンジン整備やマグロのはえ縄漁を学びながら、船内で腕立て伏せを続けた。
留守を任された深堀君はその間、阿部監督と1対1で練習を重ね、投球フォームの改良に取り組んだ。「今まで諒也さんに頼りきりだった」と、不在中の合格発表では勧誘のチラシをまき、新入生への説明会では宮城水産の実績を力説した。
春。2人の勧誘のかいがあって、1年生6人が入部した。5月には女子マネジャーも加わった。久しぶりに活気の戻ったグラウンドで、練習に励む後輩たちの姿に、高橋君は「みんなで野球ができてよかった」とほほえむ。
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部活をやめたいと思ったことは、一度や二度ではなかった。でも今は、大勢で野球ができることがうれしく、楽しい。「秋からずっと、信と2人でがんばってきた。我ながらよくやったかな」。阿部監督も「部員が2人になったときは、これで野球部も終わりかと思った。人前に出るのが得意ではなかったが、よくがんばった」とたたえる。
最後の夏、「出るだけで満足」とは思っていない。練習では連係プレーの強化に余念がない。「1試合1試合、苦しい展開でも粘って勝っていきたい」。目標は、宮城水産が2005年に達成した「8強」。そのために、開幕までバットを振り続ける。