「脳脊髄液減少症を知ってほしい」と話すまつもとさん=神奈川県内の仕事場で、渡辺暖写す
6年前、表舞台から突然姿を消した人気漫画家がいた。まつもと泉さん(46)=東京都在住。原因不明の激しい頭痛に悩まされて絶望のふちをさまよったが昨年夏、難治性のむち打ち症の「真相」として注目される「脳脊髄(せきずい)液減少症」だったことが判明した。「この病気の存在を漫画で世界中に知らせたい」。まつもとさんは治療を続けながら、新たな目標に向けて再び漫画を描き始めた。
まつもとさんは23歳で漫画家デビューした。84年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載を始めた学園コメディー「きまぐれオレンジ★ロード」で人気漫画家の仲間入りをした。連載は87年まで続き、単行本は国内だけで計1800万部を売った。テレビアニメや映画になり、ファンからは「80年代の思春期バイブル」と言われた。
99年秋ごろ、新連載が年明けから始まることが漫画誌で告知され、ファンの期待を集めた。しかし、連載が始まることはなかった。
体に異変が起きていたのだ。連載開始が半年後に迫った同年6月、自宅で寝ていた時、急に首の周囲が熱くなった。下半身がしびれた。後頭部から首、肩にかけて「100キロのおもりを載せられているような痛み」が続いた。
「ひどくだるく、何もする気が起きない。描かなくちゃいけないと焦っても、アイデアが何も浮かばなかった」。歯科、整形外科、内科、精神科など40以上の医療機関に足を運んだ。「歯のかみ合わせが悪い」「運動不足」「自律神経失調症」「統合失調症」「うつ病」などと診断され、その都度、さまざまな治療に取り組んだ。しかし、体調は好転しなかった。
昨年5月、脳脊髄液減少症を紹介した新聞記事を見つけ、同7月、症状に詳しい東京都港区の山王病院の医師を訪ねた。「これじゃあ、つらいでしょうね」。髄液の漏れの有無を調べる機器の画像を見ていた放射線技師が、まつもとさんにつぶやいた。髄液が2カ所で漏れていた。「やっと病気の正体が分かった」
富山県出身。3歳のころ、自宅前で車にはねられた。その後、右耳が聴こえなくなり、肩がこるようになっていた。同病院の美馬達夫医師(52)は「事故時から髄液が漏れ始めていた可能性はある。強い力で指圧を受けたことや、不眠不休による過労が続いたことで一気に悪化したのでは」と説明する。
現在、体調は半分程度回復した。延期していた新連載は来年スタートを目指し、出版社と相談中だ。さらに6年間の闘病生活を漫画にして出版しようと、準備を進めている。「脳脊髄液減少症が知られていないために、原因が分からず、長年苦しんでいる患者が世界中に大勢いるはず。失意のまま死んでいった人もいるだろう。漫画の力でこの病気のことを伝えたい」。ペンを持つ手に力がこもる。【渡辺暖】
◇ことば…脳脊髄液減少症
脳と脊髄の周囲を循環している脳脊髄液が漏れると脳の位置が下がり、頭痛やめまいなどの症状が出る。国内で患者は10万人以上とも言われ、治療法は患者本人の血液を注射し、血液凝固で髄液が漏れた場所をふさぐ「ブラッドパッチ療法」が有効とされる。
毎日新聞 2005年9月3日 3時00分